見どころたっぷり 神田祭

今年は神田祭がいよいよ斎行されます。江戸城内も巡行し、幕府も支援した天下祭の伝統が受け継がれています。氏子の人々にとって待ちに待った“ハレの日”であり、地域の心が一つになる場。絢爛豪華な行列や、揃いの半纏(はんてん)で練り歩く地域渡御(とぎょ)など、ぜひ体感してください。

2017年05月 【第79号】

神田祭

神田祭礼出シ尽

中央上に描かれているのは、大伝馬町の諫鼓鶏(かんこどり)の山車。山車は牛を伴い曳いていたことがわかる。
「神田祭礼出シ尽」(一長斎芳久/川越市立博物館所蔵)

5月11日(木)~17日(水)
場所...神田神社(神田明神)、
氏子108町会(神田、日本橋、大手町・丸の内、秋葉原)
www.kandamyoujin.or.jp/kandamatsuri

神田祭とは 神田明神は江戸総鎮守として崇敬され、その祭礼は幕府とともに天下泰平を祈願し、祝う「天下祭」として盛大化した。なかでも、各町から出された山車(だし)は40本前後におよび、年代が進むにつれ形式を変えながら壮麗さを極めた。さらに、さまざまな芸能文化を取り入れた、華やかな踊り舞台や曳き物の行列「附け祭(つけまつり)」も人気となった。明治中期には電線が引かれ山車が出されなくなり、その後大正期より神輿が各町会から出され、現在の神輿の渡御と宮入へと変化した。

お祭りをより楽しむアプリ「神田祭ぶらり」が登場 江戸・明治の古地図と現代地図の切り替え表示や、巡行路沿いの主なポイントの特徴、写真、関連書籍がわかるアプリが登場。さらに江戸時代以来の伝統メニューなどを提供する店舗の表示も。
tohbun.jp(4/22リリース予定)

お祭り用語 氏子(うじこ)...
氏神が守護する地域に住む人々。神田神社の氏子は108町会ある。
山車(だし)...
祭礼のときに山、鉾(ほこ)、人形、花などを飾り付けて曳く屋台。
御仮屋(おかりや)...
神輿が一時とどまり、神事を行う場所。御旅所(おたびしょ)、行宮(あんぐう)ともいう。
神輿(みこし)...
神々の乗り物の一つで、頂上に鳳凰を据えている。

絢爛豪華な行列や装飾 神幸祭(しんこうさい)

神幸祭

町火消の警護のもと、中央通りを巡行する一の宮鳳輦。

神幸祭

七色旗を掲げる古式ゆかしい行列。

神幸祭

YUITOの前を練り歩く1990年に再興した諫鼓山車。

5月13日(土)5:00~19:00 ※出発は8:00 祭神が乗る一の宮鳳輦(ほうれん)、二の宮神輿、三の宮鳳輦をはじめ、さまざまな曳き物、行列が神田神社を出発し108の氏子町を約30km練り歩く。絢爛豪華な時代絵巻は圧巻。
※写真はすべて過去の様子

神幸祭の見どころ 16:30(予定)より、中央通りの日本橋北詰から神田駅方面にかけて、神幸祭の行列と附け祭が合流! 約1,000人、500mもの大行列は見もの。

昼御饌(ひるみけ)

昼御饌

上/左から三の宮鳳輦(通称まさかど様・平将門命)、一の宮鳳輦( 通称だいこく様・大己貴命)、二の宮神輿(通称えびす様・少彦名命)。 下/極彩色の枡組が映える三の宮鳳輦(左)と壮麗な一の宮鳳輦(右)。

5月13日(土)13:20~14:20 薬研堀不動院 東日本橋2丁目に、かつて神幸祭の行列が立ち寄って一時とどまる「両国旧御仮屋」があったことから行われる神事「昼御饌」。鳳輦・神輿が3基揃い、精巧な装飾を間近に見ることができる。

附け祭

附け祭

上/有馬小学校を出発する相馬野馬追騎馬武者(福島県)。相馬野馬追は国指定重要無形民俗文化財(毎年7月末の土・日・月曜開催)。 下/2013年に復活した「花咲か爺さん」(左)と2005年に復活した「大鯰と要石」(右)。

5月13日(土)14:45~ 有馬小学校(出発) 平成に入り復活した附け祭では、かつての曳き物「大江山凱陣」「大鯰と要石」をはじめバルーン技術などで復元。今年は人気漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」が参加するなど、伝統を継承しながら現代の文化を取り入れ、進化している。

附け祭 豆知識 8回目の参加となる「相馬野馬追」の騎馬武者は、三の宮の祭神・平将門命とゆかりが深い。平将門を祖とする相馬氏は、将門が始めたといわれる野馬の軍事訓練を祭りとして継承している。

神田祭の熱気に詰まっているもの

山本泰人さん

神職、氏子総代をはじめ祭典委員、鳶頭衆たちとともに神幸祭の出発を告げる「発輦祭(はつれんさい)」に参列する山本さん。

山本泰人さん 神田神社 氏子総代・責任役員/山本海苔店 副社長
※名前の「泰」は正確には異体字

 かつては山車を中心に賑わった神田祭は、いまは神輿に代わりました。わたしたちの会社の新入社員たちも神輿を担ぎますが、初めてでも「最高にいいですね」と言うんですよ。神輿には理屈抜きに人々を団結させる求心力があり、印半纏を鯔背(いなせ)に着て勇壮に担ぐ光景には、江戸っぽさを感じますね。それは表層的なものではなく、江戸文化そのものの伝承でもあるからです。
  神田神社は創建してからもうすぐ1300年。現在地に江戸城の鬼門封じとして遷ってから400年余りですが、徳川家康は神田神社で祈祷を受け戦に勝ったことから大事にし、江戸の町を設計してつくりました。江戸文化の根が伸び花開き、その連綿とした歴史の末端にいまがあります。神社と氏子がともに祭りを受け継いで、息吹を伝えようとしているのです。だからこそ、皆が熱くなる。神田祭の熱気と汗に、そういったものが詰まっていることを感じてもらえたら嬉しいです。

半纏はいわばシンボル

濱甼高虎

上/濱甼高虎の絹の半纏と型紙。背中の紋は蝶が描かれた判じ絵で、遊び心を利かせる。「文字一つにしても、昔のほうが時代背景に伴って勢いや粗さがあったり、型にはまっていないんです」と髙林さん。
下/代々受け継がれる浜二町会の半纏の腰柄にあるのは、祭りで馴染みのある「吉原繋ぎ」。右は職人が着る形状の半纏。今年の干支と、腰柄には大工煉瓦を用いている。腰柄ではよく職種を表すことが多い。

髙林 晋(すすむ)さん  濱甼高虎 職方
  半纏のつくり手として特に見てもらいたいところは背中や襟の文字、色ですね。家紋や屋号が染め抜かれ、「印半纏」という名が付くように、遠目で背中を見ただけでわかるようにしたのがそもそもの役割。江戸町火消の「火消半纏」や老舗の「店たな半纏」はすごくお手本にもなります。江戸っ子の精神というものが息づく地域なので、それが半纏にも表されています。
 ご注文を受け見本を預かり、それをじっくり見させてもらうときに"よく考えられているな"と感嘆させられます。町の「祭半纏」も同じように、何代も受け継がれてきたものが多く、背負っている印は文字であれ、柄であれ、それだけの力があります。ですから、ご注文を受けた際、デザインはなるべく簡潔にし、いままでの図案があればそれを尊重しながら、余分な手を加えないようにします。そこのさじ加減が大事です。半纏は町と人とともに生きてきたのですから。
 
 濱甼高虎(はまちょうたかとら)
 日本橋浜町2-45-6 高虎ビル
 ☎ 03-3666-5562
 9:00~18:00(土曜~17:00)
 日曜・祝日休
www2.gol.com/users/ip0611031455

氏子の熱気が溢れる 地域渡御

日本橋四の部地区

日本橋四の部地区
A/東日本橋二丁目町会を先頭に、4基の神輿が連なる。B/「馬」の字を印した馬喰町一丁目一の部、二の部、三の部町会。C/拍子木で音頭をとる木頭。

日本橋五の部地区

日本橋五の部地区
G/清洲橋通りを巡行する浜二金座町会・浜町二丁目親合町会をはじめとした神輿。H/明治座前から浜町公園前の緑道を練り歩く。I /子どもたちによる浜町囃子。

日本橋三の部地区

日本橋三の部地区
D/松島神社前で表敬訪問した後、新大橋通りへ出る氏子たち。手前は蛎殻町東部町会。E/麹町囃子とともに高張提灯と神輿が連なる。F/は組によってつくられた御仮屋。

室町一丁目町会

室町一丁目町会
J/コレド室町1の前を巡行する室町一丁目町会の神輿。1938年作と、戦前から受け継がれる。K/山王祭の氏子たちが待ち受け、日本橋で折り返す。L/い組と町会の高張提灯を先頭に練り歩く。

神輿に御祭神の神霊である「御霊(みたま)」を遷して氏子町内をめぐる地域渡御は、町会神輿が連合して練り歩く。日本橋の地域では20基の神輿が出揃い、沿道は多くの人で埋め尽くされる。一部の神輿は神田神社へ宮入も。
※記載以外にも町会ごとの渡御あり。以下写真はすべて過去の様子

日本橋四の部地区
5月13日(土)13:30~清杉通り
馬喰町、横山町、東日本橋エリアの6町会が参加。神幸祭の行列を見送った後、4基の神輿が通りを練り歩く。

日本橋五の部地区
5月14日(日)12:00~ 明治座周辺(清洲橋通り)
新緑の薫りが漂う清洲橋通り周辺を10町会9基の神輿がずらりと揃う。12:30には明治座前でセレモニーを行う。

日本橋三の部地区
5月14日(日)10:00~ 人形町・蛎殻町界隈
古い建物も残る人形町・蛎殻町を神田神社の氏子町のほか、末廣神社、松島神社の氏子町8町会が練り歩く。

室町一丁目町会
5月13(土)、14日(日)両日13:00~ 室町一丁目町会
近隣企業から参加が多く、担ぎ手は総勢数百名にも上る。14日は神田神社に宮入後、町内を巡行。
※12日(金)18:30からは山車が巡行

地域渡御の見どころ 勇壮な神輿が連なるのはもちろん、各地域の表敬訪問先では、高々と神輿が掲げられる"差し"も見られる。