今年は神田祭がいよいよ斎行されます。江戸城内も巡行し、幕府も支援した天下祭の伝統が受け継がれています。氏子の人々にとって待ちに待った“ハレの日”であり、地域の心が一つになる場。絢爛豪華な行列や、揃いの半纏(はんてん)で練り歩く地域渡御(とぎょ)など、ぜひ体感してください。
2017年05月 【第79号】中央上に描かれているのは、大伝馬町の諫鼓鶏(かんこどり)の山車。山車は牛を伴い曳いていたことがわかる。
「神田祭礼出シ尽」(一長斎芳久/川越市立博物館所蔵)
町火消の警護のもと、中央通りを巡行する一の宮鳳輦。
七色旗を掲げる古式ゆかしい行列。
YUITOの前を練り歩く1990年に再興した諫鼓山車。
上/左から三の宮鳳輦(通称まさかど様・平将門命)、一の宮鳳輦( 通称だいこく様・大己貴命)、二の宮神輿(通称えびす様・少彦名命)。 下/極彩色の枡組が映える三の宮鳳輦(左)と壮麗な一の宮鳳輦(右)。
上/有馬小学校を出発する相馬野馬追騎馬武者(福島県)。相馬野馬追は国指定重要無形民俗文化財(毎年7月末の土・日・月曜開催)。 下/2013年に復活した「花咲か爺さん」(左)と2005年に復活した「大鯰と要石」(右)。
神職、氏子総代をはじめ祭典委員、鳶頭衆たちとともに神幸祭の出発を告げる「発輦祭(はつれんさい)」に参列する山本さん。
上/濱甼高虎の絹の半纏と型紙。背中の紋は蝶が描かれた判じ絵で、遊び心を利かせる。「文字一つにしても、昔のほうが時代背景に伴って勢いや粗さがあったり、型にはまっていないんです」と髙林さん。
下/代々受け継がれる浜二町会の半纏の腰柄にあるのは、祭りで馴染みのある「吉原繋ぎ」。右は職人が着る形状の半纏。今年の干支と、腰柄には大工煉瓦を用いている。腰柄ではよく職種を表すことが多い。
日本橋四の部地区
A/東日本橋二丁目町会を先頭に、4基の神輿が連なる。B/「馬」の字を印した馬喰町一丁目一の部、二の部、三の部町会。C/拍子木で音頭をとる木頭。
日本橋五の部地区
G/清洲橋通りを巡行する浜二金座町会・浜町二丁目親合町会をはじめとした神輿。H/明治座前から浜町公園前の緑道を練り歩く。I /子どもたちによる浜町囃子。
日本橋三の部地区
D/松島神社前で表敬訪問した後、新大橋通りへ出る氏子たち。手前は蛎殻町東部町会。E/麹町囃子とともに高張提灯と神輿が連なる。F/は組によってつくられた御仮屋。
室町一丁目町会
J/コレド室町1の前を巡行する室町一丁目町会の神輿。1938年作と、戦前から受け継がれる。K/山王祭の氏子たちが待ち受け、日本橋で折り返す。L/い組と町会の高張提灯を先頭に練り歩く。