Discover知る

日本橋地域とは

江戸幕府開府とともに城下町として急成長を遂げた日本橋。全国各地から商人や職人が集まり、地域のシンボルでもある名橋「日本橋」は五街道の起点となりました。また、水運に恵まれたこともあり、多種多様な物質が集結・流通した場所でもあります。それらは、暖簾という形で代々受け継がれることもあれば、企業という形へ変化するなど、いまなお、さまざまな形で成長を続けています。

東京まで○○kmの起点…道路標識で「東京まで○○km」と書かれている多くは、日本橋までの距離を表しています。

百万都市だった江戸時代…江戸時代の日本橋は、パリやロンドンよりも巨大な、世界屈指の都市だったと言われています。

「日本橋」という町名…東京都中央区には、日本橋本町、日本橋室町というように、住所に「日本橋」を冠する町が21あります。これに八重洲一丁目を加えた22町が、旧・日本橋区にあたります。昭和22年(1947年)に、旧・京橋区と合併して中央区が新設される際、地名に日本橋を残したいという声が多かったことから、現在の各町名となったといわれています。

日本橋の主な特長

日本橋には大きくわけて5つのエリアごとに特色があります。

  • 日本橋・室町エリア 歴史性と先進性をあわせもつ街
    日本橋を中心とした商業と文化の街で、大手企業の本社が数多くひしめく。また、歴史的建築と近代建築が共存し、老舗の路地の向こうに高層ビルといったユニークな景観が楽しめます。特に室町側(北詰)の中央通りを挟む両サイドの建築物は、高さ100尺(31m)のスカイラインが保たれ、美しい景観をつくっています。
  • 名橋「日本橋」
    日本橋が初めて誕生したのは慶長8年(1603年)。当時は木造の太鼓橋で、現在の石造二重アーチは明治44年(1911年)に架けられたものです。架橋100周年の折には、橋のたもとに日本橋船着場が建設され、都心で気軽に楽しめる舟運スポットとして注目を集めています。また近年では、かつて魚市場が栄えた川沿いや橋の景観を見直す動きが活発になり、さらなる発展が期待されています。
  • 東京駅・八重洲エリア 東京駅と日本橋を結ぶパイプライン
    戦後、商業地としていち早く復興を遂げた街。低層ビルが多く、居酒屋やバー、八重洲地下街など飲食店の激戦区でもあります。東京駅から茅場町まで続くさくら通りは、春になると見事な桜並木をつくり人々の目を楽しませます。また、路地裏には美術商や骨董商が点在し、美術関係者の交流の場としても知られています。
  • 横山町・馬喰町・東日本橋エリア 繊維問屋街から新鋭のクリエーターまで
    繊維や服飾関係の問屋街が集まっており、商人の町が色濃く残ります。近年はリノベーションによる古い建物の再利用により、個性あるギャラリーやショップが集うクリエーターの街という顔も。隅田川沿いはジョギングやサイクリングに最適。東日本橋エリアは、路上からでも東京スカイツリー®を望むことができます。
  • 兜町・茅場町エリア 日本のウォール街発祥の地
    明治時代に金融の中枢を担うようになり、日本初の国立銀行が兜町に完成し、のちに東京証券取引所が誕生するなど、日本のウォール街と呼ばれるまでに成長しました。また、日本初の郵便局が建った場所でもあり、現在も元旦にはここで年賀郵便元旦配達出発式が行われ、新年最初の郵便物を手渡しで届けています。
  • 人形町・浜町エリア 下町情緒が息づく町人文化の街
    かつて人形浄瑠璃や芝居を中心とした町人文化が花開いた街で、職人たちが数多く住んでいました。現在も路地を歩くと、三味線や笛などの音色が聞こえてくることも。食べ歩きが楽しい甘酒横丁や、自然あふれる浜町緑道に浜町公園など、憩いのスポットが充実。日本橋七福神の神社が多く集まるエリアでもあります。

日本橋の名所・文化

江戸時代に城下町として栄えた頃より、商業・流通・職人・金融などの顔をもつ日本橋。その歴史ある街の名所・文化を、さまざまな角度からご紹介します。 ※「日本橋ごよみ」のバックナンバーにリンクします

日本橋福徳塾

日本橋に縁が深い方々にお話をうかがう「日本橋福徳塾」では、日本橋の古今、これまでの体験談や、そこから学んだ知恵のほか、日本橋に対する想いを知ることができます。

日本橋福徳塾 一覧へ>

日本橋再生計画

“残しながら、蘇らせながら、創っていく“をコンセプトに、日本橋地域の活性化と新たな魅力を創造するプロジェクト「日本橋再生計画」について、長きに渡る日本橋の歴史を交えてご紹介します。