日本橋に縁の深い人たちにご登場いただく「まち・ひと・こころ 日本橋福徳塾」。第45回は、伊勢定 代表取締役会長の富田蓮右衛門氏。昭和20年(1945年)創業の伊勢定は、日本橋の地で長らく鰻文化を支えてきた。鰻は寿司や天ぷら、蕎麦とともに日本の食文化を象徴する料理。店の歴史や未来に向けた取り組みについてうかがった。
中央通りにほど近い、むろまち小路にある鰻蒲焼専門店 伊勢定。群馬県の伊勢崎出身の初代が東京で修行し、店を開いたのは昭和20年(1945年)のことだ。当初は深川に店を構えていたが、戦後に日本橋に移ってきた。店名は出身地と初代の名前である“定(さだむ)”からつけたという。「戦後は物資が少なく、お客さまにお出しするお酒の調達も大変でした。私も小さい頃、買い出しへ行く父にお供していましたよ」と富田氏は振り返る。
かつて店は木造二階建てで、お座敷を切り盛りする住み込みの女性従業員が10名ほど働いていた。店の奥には家族と従業員が寝泊まりする部屋があったが、忙しくなるとその部屋にもお客さまを通すため、夜遅くまで寝られなかったという。「この辺りの店の従業員はほとんど店の建物で暮らしていました。子どもの私などは友達の家に遊びに行っては、晩ご飯をごちそうになりましたよ。その頃から、伊勢定の鰻を楽しみにする政財界のお客さまが多く来店していたという。
富田氏は大学卒業後、大阪の料亭「吉兆」で3年ほど修行する。吉兆は茶懐石の店であるため、大旦那に付き添い、茶事のお供をすることが多かった。「この時、料理以上に学んだのは、みんな非常に一生懸命に働いているということ。後になって、よい勉強をさせていただいたなと気づきました」。
いま、鰻のシラスの減少が問題視されている。先頃、国際自然保護連合の“レッドリスト”にニホンウナギが掲載され、今年は昨年よりも漁獲高が伸びたが、来年以降はわからない。一方で、専門家による完全養殖技術の研究も進んでおり、実用化が期待されている。「私ども専門店が使う鰻の量は、実はそんなに多くないんです。問題なのは、安値で大量生産されている加工品。鰻はデリケートな生き物で、汚れた河川には棲めませんから、環境保護も大事です」。
また、鰻に関わる業界では、成魚である天然鰻の漁を控えようという動きも出ている。「いまは餌がよくなり、養殖の方が皮が薄くて美味しいんですよ」。富田氏は、価格上昇によって、専門店で鰻を食べるお客さまが減ることを心配している。「我々が頑張らなければ、日本の食文化の一角が途絶えてしまう。いまが辛抱どころです。鰻の質を落としたり小さくしたりといったことは絶対にしたくありません。心のこもったおもてなしで、大切なお客さまに美味しい鰻を食べていただきたいという想いで、未来に向けてみんなで頑張っていきます」。
伊勢定
東京都中央区日本橋室町1-5-17
☎ 03-3241-0039