日本橋に縁の深い人たちにご登場いただく「まち・ひと・こころ 日本橋福徳塾」。第31回は、有限会社 日本橋弁松総本店 代表取締役社長の樋口純一氏。日本初の折詰料理専門店として160年あまりの歴史を刻む弁松は、この地で働き、暮らす人々にとって特別な存在だ。醤油と砂糖を効かせた甘辛の味つけは、まさに“江戸の味”。社長に就任して15年あまりの樋口氏に、日本橋の街と店の歴史について、またこれからの抱負などをうかがった。
今年3月、日本橋本町から創業地である日本橋室町へ本社を移した弁松。1810年(文化7年)、新潟県の長岡から出てきた初代の樋口与一氏が、この地に「樋口屋」という食事処を開いたのが始まりだ。店に通うのは魚河岸で働く人々がほとんどで、冷凍・冷蔵技術がない時代のため、朝仕入れた魚が悪くならないうちに売り捌かねばならず、みな慌ただしかった。
定食の盛りが豊かだった樋口屋では、時間切れで食べきれない人が多く、そこで残ったご飯を竹の皮や経木(きょうぎ)に包んで持ち帰ってもらったところ、そのサービスが評判となる。「次第に、最初から持ち帰り用をという方が増えていったようです」と樋口氏は話す。
しばらくは定食と折詰の両方を提供していたが、1850年、三代目の松次郎氏から持ち帰り専門に。当主が「弁当屋の松次郎」と呼ばれていたことから、店名を「弁松」に改めた。
弁松の弁当といえば、なんといっても甘辛い味つけが特徴だ。「煮物のほとんどは創業当時から変わらず、醤油と砂糖で煮ています」。信田巻や豆きんとん、たこの桜煮、かまぼこ、玉子焼は古くからある総菜だという。「同じレシピでつくっていても、つくる職人ごとに個性が出ます。30~40年前を知るお客さまによれば、里芋の煮汁はもっと濃くて大学芋のようだったとか。うちの煮物のことを“煮菓子”と呼ぶ方もいらっしゃいます」。
折箱には、北海道のエゾ松や黒松の間伐材からなる100%経木の折を使用している。プラスチックと違い蓋や底にご飯粒がつくが、こそぎ取って食べるのを楽しむファンも多い。
日本橋で生まれ育った樋口氏は、大学卒業後に初代の出身地・栃尾がある長岡市の料理屋で修行し、25歳の時に家業に入った。その年、先代が急逝したことから若くして八代目社長に就任する。忙しい日々を送る中、ある時期から趣味で日本橋の古い絵はがきを蒐集するように。「家や街の歴史についてあまり知らなかったんです。明治や大正時代の絵はがきを見ると、街の変遷がよくわかるんですよ」。
老舗の伝統を受け継ぐ上での姿勢や抱負についてうかがった。「濃い味つけ、これは絶対に守らなければいけないものです。逆にこれが表現されていれば、食材や器の一部は時代によって少し変化してもいいのかもしれない。弁松の弁当の始まりである“お客さまへの心遣い”が精神的な基軸になっています」。食事処から始まり弁当屋へと変化した弁松だからこそ、また新しい展開があるかもしれないと樋口氏は未来を語る。
以前こんなことがあった。長年、贔屓にしてくださっているご家族が引っ越しで東北地方へ。転居先でご高齢の夫人の体調が悪くなり「弁松のお弁当が食べたい」と懇願した。家族から依頼を受け、日持ちする総菜を真空パックにして送ったところ、大変喜ばれたという。「その時に考えたんです。いつか通販ができたら、ご年配のお客さまにご活用いただけるかもしれないと」。新しいアイデアも“心遣い”から生まれてくる。「何より嬉しいのは、お客さまのご家族の思い出にうちのお弁当が登場すること。これからもそういうシーンを増やしていくのが目標です」。
日本橋弁松総本店
東京都中央区日本橋室町1-10-7
☎ 03-3279-2361
www.benmatsu.com