日本橋に縁の深い人たちにご登場いただく「まち・ひと・こころ 日本橋福徳塾」。第26回は、小網神社の22代目宮司・服部匡記氏。文正元年(1466年)に創建された小網神社は、長い年月に渡り、地元の氏神さまとして親しまれてきた。昭和50年代からは、お正月の恒例行事「日本橋七福神めぐり」のひとつにも数えられている。神社の歴史と街との結びつきについて、日本橋の未来についてうかがった。
近年、ますます盛り上がりを見せる「日本橋七福神めぐり」。小網神社には、弁財天と福禄寿が祀られている。日本橋で七福神めぐりが盛んになったのは、昭和50年代に発足した“日本橋七福会”がきっかけだ。その後、三越が賛同し、1月4日に毎年恒例の「日本橋七福神めぐり」が開催されるようになった。
小網神社の歴史は古く、550年ほど前に遡る。当時、この辺りでは疫病が流行していたが、ある翁が拝受したご託宣によってお稲荷さまをお祀りしたところ、疫病が治まったといわれている。江戸時代には神仏を祀り、小網山稲荷院万福寿寺と名づけられた。明治維新後に寺社が分離し、現在の形となる。境内に祀られている弁財天と福禄寿は、分離前のお寺から受け継いだものだ。
木造桧造りの神殿と神楽殿は昭和4年(1929年)建造で、いまでは貴重な建物。一流の材料を使用し、一流の工匠が手がけている。「関東大震災後だったこともあり、氏神さまに自然の脅威からこの場所を守っていただきたいという地域の人々の思いが強かったのだと感じます。その思いを大切に守っていかねばと思っています」と服部氏は語る。
小網町で生まれ育った服部氏。先代の宮司であるお父様の方針で、大学を卒業するまで、スポーツや音楽など好きなことに熱中してきた。「曽祖父から小網神社の宮司を仰せつかっていますが、決して世襲ではなく、父も“宮司は神社をお預かりする身”という意識が強かったんです。時が来たら神社をお守りできる人間が継げばいいとの考えでした」。服部氏は中学から私立に進んだため、外の世界から日本橋を見る機会もあった。「学校では、日本橋に住んでいることや神社の子どもであることで注目されました。日本橋の名前を穢してはいけないという気持ちが強まりましたね」。大学在学中に神職の資格を取得し、さらに國學院大學の神道学専攻科に進んで知識を深めた。
その後、15年間にわたる神社新報勤務を経て、神社本庁の広報課長や渉外課長に着任。ちょうど世の中が神社への感心を高めていた時期でもあり、国内外への情報発信や危機管理対策などに従事した。定年まで勤めるつもりでいたところ、先代の急逝により4年前、小網神社の宮司に就任する。
小網町を面白い場所だと服部氏はいう。「日本橋のたもとは大企業が多く品格を重んじる世界、一方で人形町側は“べらんめえ”で下町気質(かたぎ)、両面揃ってこそ日本橋です。中間に位置する小網町は両方を見ることができるバランスのよい場所なんですよ」。
宮司として街を見守りながら、服部氏は月に一度、刑務所と少年鑑別所の教誨師も務めている。「ある時、受刑者の青年の言葉に、私の方が教えられた気がしました。『運命とは過去だ』。そう過去の積み重ねがなければ未来はない。だからこそ私たちは過去や歴史をきちんと受け入れ咀嚼しなければならないわけです」。 街の歴史を噛みしめ、人々に啓発することが自分の役割だと話す服部氏。さらに「江戸っ子の粋や人生哲学を身を持って実践していきたい。それこそが日本橋とは何かを次世代に伝えることだと思います」と力強く語った。
小網神社
東京都中央区日本橋小網町16-23
☎ 03-3668-1080
www.koamijinja.or.jp