昭和21年(1946年)創業のいづもや。当時からの建物である本館は昭和の香りが漂い、磨き上げられた柱や床、床の間が印象的だ。初代当主が若くして亡くなったことから、残された先代女将(岩本氏のお祖母さま)が長らく細腕一本で切り盛りしていたという。日本橋の人々との逸話も多い。「お米が足りない時に調達して下さる方もいたと聞きました。たくさんのお客さまに支えられ続けてこられた。祖母はそのご恩を生涯忘れず、毎朝、お仏壇に手を合わせて感謝の言葉を述べていました」。
やがて二代目となる守行氏が店を継ぎ、創業から40年が経つ頃には、馴染みのお客さまが立身され、さらに引き立てて下さったという。「バブルの頃などは、いつもご馳走ばかりでは飽きるだろうと、祖母がコース料理の後に煮物や混ぜご飯などお袋の味をちょっとお出しすると、とても喜んで下さったそうです」。多くの人に慕われた先代女将も10年前に他界。お別れには、昔からのお馴染みさんたちが駆けつけてくれたという。
自ら“体育会系”と称する岩本氏。中学、高校時代は陸上やゴルフに明け暮れながら、店の手伝いも行っていたそう。高校卒業後は日本大学法学部へ進学。店の仕事と学業という二足の草鞋で頑張り抜いた。卒業後は横浜の鰻屋“わかな”で修業し、2001年いづもやに入店する。翌年、店として初めて日本橋三越の地下で開催された催事に出店、責任者を務めた。「いづもやの名前を知らないお客さまに、いきなり2,000~3,000円のうな重が売れるわけがない。まずは試食を始め、う巻きと半身の鰻を合わせた特製弁当をつくり、手頃な値段で販売しました」。このアイデアが功を奏し、4日間で大きな売上を上げた。
そして翌年、正式に三越に出店する。この時も「本店と同じ仕事が出来なかったら出店する意味がない」との意志で炭火の許可をもらい、作り置きなしの販売スタイルでスタート。注文後に待つとあって、当初はなかなか売れなかったが、「美味しいものをお出しすれば、お客さまは必ずついてきて下さる」と信念を貫き通した。今では口コミで評判が広がり、人気店へと成長している。
近ごろ話題となっている鰻の稚魚の不漁についてうかがうと「この3年ほど極端に漁獲高が減り、とりわけ今年は少ない。数年前に比べて、原価は3倍以上です」とのこと。どの店も値上げを余儀なくされているという。対策を練るため、鰻店と専門家で勉強会を重ねている。
一方で、店として鰻の魅力をさらに引き出す工夫も怠らない。「生醤油を塗った『生醤油焼き』、鰻の魚醤を使った『いづも焼き』、蒲焼きの元である『がまの穂焼き』などもお出ししています」。鰻文化を継承する岩本氏は、常に前向きだ。「鰻を食べると誰もが笑顔になるでしょう。重箱を開けたとき時のタレの照り、立ち上る香り、ふっくらとした柔らかさ。鰻ほどそれ一つで感動してしまう食べ物はそうないと思うんです。鰻は江戸前の代表格。誇りを持って、皆さまに笑顔になっていただける美味しい鰻を提供していきたいと思っています」。
いづもや
東京都中央区日本橋本石町3-3-4
☎ 03-3241-2476
営業時間…11:00~14:00、17:00~22:00(L.O.21:00)
※土曜11:00~21:00
www.idumoya.com