株式会社江戸屋 代表取締役 濵田 捷利 氏

2011年10月号【第12号】

江戸から続く〝べったら市〟で日本橋を盛り上げる

日本橋に縁が深い人たちにご登場いただく「まち・ひと・こころ 日本橋福徳塾」。第12回目は、株式会社江戸屋・代表取締役の濵田捷利氏。徳川幕府より屋号を賜り、享保3年(1718年)に大伝馬町に店を開いた「江戸屋」。昔と変わらぬ伝統的な刷毛はもちろん、今では洋服ブラシや化粧ブラシ、業務用の特殊ブラシなど3千種類以上に及ぶ商品を手掛けている。「江戸屋」の十二代目である濵田氏は、日本橋七福神でも有名な宝田恵比寿神社の守り役として、さらに10月19日、20日に開催される宝田恵比寿神社の行事「べったら市」のべったら市保存会の会長として江戸文化の保存にも力を注ぐ。そんな濵田氏が、宝田恵比寿神社の由来、べったら市の愉しみ方、長く商いを続ける日本橋の魅力などを語る。


創業300年、昔も今もその技を求めて人が集う

 将軍家お抱えの刷毛師・利兵衛は、幕府より「江戸屋」という屋号を賜り、享保3年(1718年)に日本橋大伝馬町で店をはじめる。江戸屋の刷毛は、職人たちにも評判がよく、店は常に賑わいをみせていたとか。創業から293年を迎えた今日でも、伝統的な刷毛はもちろん数々のメディアで紹介される洋服ブラシや使用感抜群の化粧ブラシ、また業務用の特殊ブラシなど、江戸屋ならではの刷毛やブラシを求めて様々な人たちが店を訪れる。
 「時代ごとにお客様の要望に沿った商品を作り続けてきただけ。難しい要望も多いですが、それを解決することが次の時代に繋がると思います」と江戸屋十二代目・濵田捷利氏。

濵田捷利(はまだ かつとし)氏 1942年生まれ。日本大学卒業後、江戸屋に入社。40代の頃、代表取締役に就任。2003年からべったら市保存会の会長としてべったら市の企画運営などを務めている。
 

日本橋商人に愛されてきた商売の神・宝田恵比寿神社

 歴史と伝統を受け継ぐ商いと同様、濵田氏が守り継いでいるのが街の神様「宝田恵比寿神社」だ。日本橋七福神巡りで知られる宝田恵比寿神社は、もともと江戸城外の宝田村の鎮守で現在の皇居前にあったという。それが慶長11年(1606年)、徳川家康による江戸城拡張のため、現在の場所に村ごと移転。その際に徳川家から贈られた恵比寿像がご神体として、今でも祭壇中央に祀られている。
 「恵比寿様は、商売繁盛や五穀豊穣の神様。だから日本橋の商家はもちろん、魚河岸や大根河岸へと出向く漁師や農家の人にも愛されてきました」と濵田氏。
 小さな神社ながらも1月は七福神、2月は節分祭、3月には初はつ午うま、5月には日本橋にゆかりのある於竹大日如来法要*など年間行事も多く、特に10月19日・20日に開催される恵比寿講・べったら市は、日本橋をあげての大きな行事だ。
 「べったら市保存会」の会長でもある濵田氏は「恵比寿講は、五穀豊穣や商売繁盛を願って恵比寿様を祀り、大勢で飲み食いしたことがはじまりだと思います。べったら市は、江戸後期にはすでに開催されていた伝統行事。明治・大正時代には1000軒ほどの店が出て、それは賑やかだったんですよ」と話す。

3000種以上のブラシや刷毛が揃う店内。暮らしの道具として長く愛されてきたたわしや各種ブラシ、化粧刷毛などは、見た目もチャーミングだ。

美味しいべったら漬けや老舗のお値打ち品に出会える!

 べったら市という名前の由来を「その昔、恵比寿講で購入した浅漬け大根を振り回しながら、『べったりつくぞ、べったらだー』と恵比寿様に参拝するご婦人を若者たちがからかったことから『べったら市』の名がついたとも言われていますけどね」と話す。
 出店数の多さも見どころ。「2日間ですが、神社を中心とした通りに500店舗ほど出店します。べったら漬けを扱う店は30店舗ほど、また日本橋に縁の深い老舗や町内からも80店舗ほど出店。江戸屋もお祭り価格で商品を販売します」。
 恵比寿様に参拝後、美味しいべったら漬けを探すもよし、老舗露店でお値打ち品を求めるもよし、神輿を追いかけてお祭り気分を味わうもよし、お愉しみ満載のべったら市。
 「最近は、地元の小学生たちにもお神輿などで参加してもらっています。江戸から続く伝統の継承と地域の活性化に繋げていきたい」と濵田氏。

鎌倉時代に作られた運慶作ともいわれている木彫りの恵比寿像(宝田恵比寿神社)。堂々たる姿ながらも愛嬌たっぷりな恵比寿様の笑顔に多くの人が元気をもらってきた

街に暮らす人にとって誇りであり宝である神社

 街にとっての宝田恵比寿神社とは?と尋ねると、「街の誇りであり、自慢です」と濵田氏。神社の名が表すように“街の宝”なのだ。
 日本橋・大伝馬町で生まれ育った濵田氏は「昔の昭和通りには高速道路もなく、子ども時代はあのあたりで正月に凧揚げをして遊びました。のどかな時代でしたね」と思い出を語る。また「子ども時代は、三越や髙島屋の屋上でもよく遊んでね。そんな楽しい思い出があるから、今でも日本橋で好きな場所は百貨店の屋上なんです」と微笑んだ。

*寛永の頃、大伝馬町・佐久間家(馬込家の説も)で下働きをしていた誠実で慈悲心の強いお竹は、出羽の国の行者より「大日如来の化身」と告げられる。その後、主人が作った持仏堂で念仏三昧の道に入ったお竹を、江戸市中の人々が参拝に訪れたという。

DATA

江戸屋
東京都中央区日本橋大伝馬町2-16
☎ 03-3664-5671
www.nihonbashi-edoya.co.jp