有限会社利久庵 代表取締役/室町一丁目會 青年部会長 水谷 弘 氏

2011年05月号【第7号】

江戸時代は日本の中心地、日本橋室町を活気ある町に
昭和27年の開業当時から室町で働く人の強い味方

 日本橋室町・むろまち小路にある蕎麦屋「利久庵」。カラリと引き戸を開ければ、蕎麦屋独特の鰹出汁のいい香りが鼻をくすぐる。お昼には蕎麦や定食を求めるビジネスマンやOLで、夕方からは蕎麦や多彩なアテで一杯飲みたいオヤジさんたちで賑わう。また座敷でいただけるコース料理などもあり宴会や接待にと幅広く愉しめる店だ。
 そんな利久庵を切り盛りするのは、二代目・水谷弘氏。「昼夜2回来てくださるお客様もいらっしゃいますし、女性や外国人のお客様が多いのもお蕎麦屋としては珍しいかもしれませんね」と話す。
 昭和27年、日本橋室町に開業。サッと食べられる蕎麦や丼物は、当時のビジネスマンにとっても定番の昼食。高度経済成長を支えた日本橋ビジネスマンたちの活力源でもあった。「昔は出前が中心、このあたりの会社には自転車でよく出前していましたね」と水谷氏。

水谷 弘 氏 1967年生まれ。明治大学卒業後、横浜・伊勢佐木町の「割烹山田屋」で修業。その後、利久庵に戻り、2007年に代表取締役として同店を任される。2008年、「室町一丁目會」の青年部会長に就任、現在は2期目(1期2年間)に入る。
 

江戸初期に名づけられた室町 歴史ある地域を支える町の力

 繁盛店を切り盛りする水谷氏は、町会「室町一丁目會」の青年部会長として地域活性化にも力を注いでいる。昭和初期から続いている町会「室町一丁目會」。日本橋の北詰から中央通りの両側の一角、日本橋三越本店も町内に含む、日本橋室町1丁目を全域とする町会なのだ。
「80年ほど続く歴史ある町会です。今では170軒ほどが参加していますね。日本橋はオフィス街というイメージが強いですが、日本橋室町1丁目には住んでいる人も100名ぐらいいるんです。以前は、私も店舗の上が住まいでした」と水谷氏。
 江戸時代の初め、市街の整備が行われていた頃に名づけられた「室町」。歴史ある室町という名は、京都室町の名を移したとも、その頃から商家が集まり土蔵(室とも呼ばれていた)が建ち並んでいたからとも、言われている。

蕎麦の実の真ん中だけを使ったきれいな白色の蕎麦を鰹出汁の効いたコクのあるつゆでいただく「もりそば」は人気メニューのひとつ

日本橋で開催イベントには 「室町一丁目會」も力を発揮

 町会「室町一丁目會」の活動は「日本橋で開催される祭りやイベントなどの企画運営や補助、町づくりなどの会合が中心。また盆踊りや餅つきなど町内の親睦活動、掃除や年末の夜警など、普通の町内会と変わりませんよ」と水谷氏。
 しかし普通の町とは違って、イベントが多い日本橋。大江戸活粋パレード、箱根駅伝、名橋「日本橋」を洗う会など、さまざまなイベントにスタッフとして関わる。「大きなイベントは準備や人の手配も大変ですから。参加者や来場者に愉しんでいただけるように陰ながらお手伝いしています」と笑う。
 江戸時代には天下祭(*)と呼ばれていた、神田明神の祭礼「神田祭」にも氏子である「室町一丁目會」は深く関わってきた。2年に1度、5月に開催される神田祭。今年は開催年、町会をあげて準備をしてきたところに東日本大震災が起きる。
 「お祭り的なイメージが強い神輿や山車は中止になりました。次回の開催時には、被災地も復興を遂げて日本全体が元気になっていることを願っています」


江戸時代には日本の中心地 日本橋室町を活気ある町に

 架橋100周年を迎えた日本橋について「100年前に作られたとは思えない美しい橋だと思います。名橋日本橋保存会や町の努力もあって川もキレイになってきました」と水谷氏。
 生まれ育った日本橋室町への想いを「再開発計画もありますし、商業の中心地としてより活気のある賑やかな地域にしていきたい。江戸時代から昭和初めまでは、日本の中心地だった誇りもありますからね」と話す。
 日本橋で一番好きな場所はと尋ねると、間髪をいれずに常盤小学校との返事。「公園のない室町の子どもたちの遊び場だったから思い出深い。今でも町会イベントではお世話になっています」

*江戸時代から行われている日枝神社(山王祭)と神田明神(神田祭)の祭礼のこと。徳川幕府公認のお祭りであり、江戸城内にも祭礼行列が入り歴代将軍の上覧を受けた。

蕎麦や丼物をいただく人たちで賑わう地下フロア
DATA

利久庵
東京都中央区日本橋室町1-12-16
☎ 03-3241-4006
www.rikyu-an.com