吉野鮨本店 五代目/日本橋三四四会 会長/日本橋六之部連合町会青年部日八会 副会長 吉野正敏 氏

2012年04月号【第18号】

日本橋全域を巻き込みながらさらに人の集まる街にしたい

日本橋に縁が深い人たちにご登場いただく「まち・ひと・こころ 日本橋福徳塾」。第18回は、明治12年(1879年)創業の吉野鮨本店・五代目吉野正敏氏。大学卒業と同時にこの道に入り、現在は四代目やご兄弟とともに江戸前の味を守っている。地域活動にも積極的に取り組み、日本橋料理飲食業組合の青年部「三四四(みよし)会」の会長、さらには日本橋と八重洲の連合町会である日本橋六之部連合町会青年部「日八(にっぱち)会」の副会長も務める。生粋の日本橋っ子である吉野氏に、店の歴史と日本橋の移り変わり、未来像を語ってもらった。


屋台に始まり 徐々に大きくなった店舗

 「日本橋 髙島屋さんの、裏通り」。吉野鮨本店の箸袋の裏には、そんなさりげない言葉が書かれている。その言葉どおり、店はとても分かりやすい場所にある。大きな看板と広い間口からは、どこか親しみやすさを感じる。
 もとは、日本橋に魚河岸があった明治12年に屋台からスタートし、その3年後に髙島屋の北側に店舗を構えたのだという。昭和に入り、第二次世界大戦中には一時、信州へ疎開。戻ってきたところに土地を買いたいという人が現れ、現在の髙島屋新館の場所へ移る。さらに髙島屋の新館建設の折に、いまの地に移転した。昭和45年(1970年)のことだ。「引っ越すたびにちょっとずつ店が大きくなっていったんです」と吉野氏は笑う。

吉野正敏氏 1967年生まれ。日本橋の城東小学校から明治大学付属中学・高校を経て、明治大学へ進学。卒業後、すし職人の道に入る。出前や洗い場、仕込みやホールで修行を積み、3年目から魚をおろし、約10年目から鮨を握るようになる。四代目とご兄弟、奥様、お弟子さんらとともに店を切り盛りする。将来六代目を担う予定のご子息は、いま中学生。
 

 創業当時は魚の流通も限られていたため、タネは東京湾で獲れた海老やこはだ、穴子くらい。その後、交通網や冷蔵技術の発達で魚の種類は増えるが、一方で東京湾で獲れる魚は減少していく。いま江戸前の魚は、たこ、いか、穴子、こはだ、しゃこなどだ。「本当は江戸前の魚が好きなんだけれど、時期によっては他の産地のほうがいい時もある。そういう時は、よりいい魚のほうを仕入れてます」。
 その昔、鮨は銭湯の帰りにちょっとつまむ食べ物として人気があった。「2~3貫つまんで帰る。手頃な感覚だったんでしょうね」。関西の箱ずしや棒ずしに対して、江戸で発展した握り鮨。せっかちな江戸の人々の気質に合っていたのだろう。


好きなものを好きなだけ食べられる、それが鮨のいいところ

 吉野鮨のしゃりには甘味が一切、加わっていない。「普通は酢に砂糖を加えるけれど、うちは粕酢(赤酢)と塩だけ。ずっと変わっていないんです」。タネに煮きり醤油(※)がからめてあるのも昔からの技だ。もちろん、時代とともに変わった部分もある。一時期、休んでいた“づけ”を復活させたのも、嗜好の変化に合わせてのこと。先々代が書き残した仕込み方法をアレンジし、いまの味に行き着いた。
 お任せで頼むのもいいけれど、鮨の良さは、お客さんが自由にメニューを組み立てられる点にあるという。「食べ方に順番も決まりもない。好きなものは、何回注文したっていいんですから」。なんだか嬉しい言葉だ。

上/タネに煮きり醤油をつける。これにより、小皿でお醤油をつけなくても美味しくいただける。下/繊細な技が際だつ握り。魚のすり身を加えた玉子は、吉野鮨らしさが漂う一品だ。

昔はホコ天もあったし 野球だってできた

 日本橋で生まれ育ち、いまも住居を構える吉野氏に、街の変化について聞いた。「昔は人も自動車も少なくて、のんびりしていました。ちょっとした空き地で野球をしても怒られなかったし。いい時代でしたね」。鮨の道に入ったのは大学卒業後。2~3年は洗い場と出前を担当した。「昼は会社、夜は麻雀屋と昔は出前がわんさかあったんです。出前している間に、気づけば店が終わっていました」。この数十年で、訪れるお客さまにも変化はあったのだろうか。「バブル期はビジネスマンが多かったけれど、いまはカップルやご夫婦、ご家族連れとさまざまです」。幅広い世代に人気があるのは、昔ながらの江戸の味と穏やかな店の雰囲気、老舗でありながら手の届きやすい値段によるのだろう。「うちは高級店じゃないから」ときっぱりと言う。
 日本橋の街は結束が固い。吉野氏が会長を務める三四四会には約60店舗の飲食店が参加し、20代~70代と幅広い年齢の会員が集う。「世代を超えた交流ができるのがいいんです」。勉強会を開いて情報交換をしたり、街について語り合うこともしばしば。「もっと人が集まる場所になればいいですね。室町に映画館や劇場ができる予定なので、新しい風が吹くのではと期待しています。できれば本町、室町とこの辺り、八重洲、そして茅場町や人形町などを結んで“オール日本橋”で盛り上げていきたい。歩行者天国を復活させるのも面白いかなと思うんです」。かつて中央通りは銀座から上野まで、ほぼ全域で歩行者天国が行われていた。その頃のように、休日にゆったり歩ける日本橋というのもちょっと憧れる。

※煮きり醤油…酒やみりんなど、鮨に合わせてその店独自に調合した醤油。
「吉」の漢字は、正しくは上の横棒が短いほう。

上/入って左にカウンター、右に椅子席と掘りごたつ席。店内には細かな配慮がなされているが「こだわらないのがこだわり」という吉野氏の言葉が、いかにも潔く江戸っ子らしい。下/初めての来店で緊張していても、この温かい笑顔を見れば一気にリラックスできるはず。江戸前鮨との出会いに、期待が高まる一瞬。
DATA

吉野鮨本店
東京都中央区日本橋3-8-11
☎ 03-3274-3001