株式会社海老屋美術店 取締役社長 三宅 正洋 氏

2011年09月号【第11号】

明治維新で京からお江戸日本橋へ

 日本橋室町・中央通りを足早に行きかう人も思わず笑顔になる、そんな愛嬌のある人形が出迎えてくれる古美術店「海老屋美術店」。店主の九代目・三宅正洋氏のこだわりが隅々まで配された店は、温かくてどこか懐かしい、そんな気持ちにさせてくれる。古美術店のイメージとは大きく異なる同店だが、延宝元年(1673年)に京都で創業以来、330余年続く堂々たる老舗。「最初は社寺仏閣に、幕末期には御所に蒔絵や漆器などの調度品を納めていたそうです。天皇家が東京に移られたため、店も明治4年(1871年)に京都から東京・日本橋へと移転。その頃は、調度品を作る職人もいたと聞きますし、かなり大きな店だったようです」明治時代は御用品を納めるのが主商いだったが、大正時代から古美術も手掛けるように、戦後は古美術や近代絵画などを扱う美術店として展開してきた。

 

日本橋に縁のある品を次の世代に繋いでいく

 幼いころから古美術に親しんでいた三宅氏は、大学を卒業後に大阪の骨董店で修業する。そして八代目である父親が病に倒れ店に戻った際、欧米の近代美術などを扱っていたモダンな店を昭和初期の商家のようなイメージの店へと転換させる。「祖父や曾祖父時代の店のように、土間があって和仕立てな、そんな店にしたかったんです。父はそれに反発してモダンな店にしたんでしょうけどね(笑)。また入りやすい雰囲気にしたいと、内装にも色々と工夫を重ねました。お客様とゆっくりお話しできるような空間が欲しいと、ひとりでコツコツと板張りの茶室まで作ったんですよ」三宅氏の収集対象のひとつは、日本橋に縁がある骨董や古美術品だ。「日本橋や街並みを描いた版画や日本橋で作られた生活雑貨、また長崎屋[*1]とも縁が深いオランダ貿易によるガラス器や陶器は注目していますね」日本橋に縁があるものを集めていたお陰で「白木屋[*2]が贈呈用に作っていた革半纏を手に入れることができた。ほかに買われて袋の資材にされるところだったんです(笑)。今は神田明神の氏子さんが大事に保管してくれています。そんな風に日本橋に縁のあるものを見つけ出して次世代に繋げていくのも私の役目」と三宅氏。

[*1]江戸幕府御用達の薬問屋であり、江戸時代唯一の貿易国であったオランダ商人が幕府に参府する際の定宿。現、日本橋室町4丁目2番地。
[*2]越後屋、大丸屋と並ぶ江戸の3大呉服店のひとつ。その後、百貨店として繁盛するも経営危機による合併で東急百貨店へ。1999年に閉店。

勢いのある伊勢海老が染め抜かれた半纏。昔から紋にしていた海老を屋号にしたのは七代目の時代から。それまでは「三宅利右衛門商店」として商っていた

見立ての面白さや温もりが古美術の魅力

 なかなか小難しそうな古美術の世界、どのように愉しめばいいのか?「古美術の魅力は、見立ての面白さにあります。食事用に使われていた鉢や碗も、花を活けたり金魚鉢にしたりとどんな風にも見立てることができる。どう見立てるのかは、その人次第。もちろん見立て方がわからないお客様もいらっしゃるので、物品の背景とともにどんな使い方ができるかなど手書きの紹介文を添えて展示しています」古美術や古道具に興味や関心を持つ20代や30代の若いお客様も増えてきているとか。「丁寧に作られ大事に使われてきたものには人の温もりがある。そんな温もりが伝わるから20代も50代も同じように古美術に惹きつけられるんじゃないでしょうか」


毎朝、犬の散歩で大好きな橋にも挨拶

 生まれも育ちも日本橋室町。小学生時代は「三井タワー周辺が遊び場でした。舗装されてない土の道でいろんな遊びをしましたね」と懐かしそうに笑う。今一番好きな場所は日本橋。「仕事で日本全国に出掛けるようになって、日本橋の街の良さがしみじみとわかるようになった。その象徴である橋は、本当にいいなと思います。毎朝、犬の散歩で通るのですが、橋にも挨拶していますよ(笑)」

古びた扉を開けると昭和初期にトリップしたような雰囲気に包まれる。可愛い江戸ガラスの器や味のある暮らしの道具、気持ちが温かくなる骨董や美術品に出会えるはず
DATA

海老屋美術店
東京都中央区日本橋室町3-2-18
☎ 03-3241-6543