株式会社明治座 代表取締役社長/玄冶店 濱田家 代表取締役社長 三田 芳裕 氏

2011年03月号【第5号】

芝居と食事を劇場で愉しむ 日本の観劇文化を受け継ぐ

 初代・市川左團次が座元となり誕生した「明治座」。歌舞伎や新派の殿堂として日本の演劇文化を牽引し続けてきた劇場は、今でも時代劇や歌謡ショー、演歌歌手の座長公演、人気タレントの舞台など、常に話題性の高い公演で多くのお客様を喜ばせている。
 時代にあわせて公演内容は変化を遂げてきたが、昔と変わらないのは劇場での芝居以外のお愉しみだ。「NYやロンドンとは違って、劇場内で飲んだり食べたりすることは、お弁当を食べながら歌舞伎を観ていた江戸時代からの日本独自の観劇文化。明治座は良い芝居と美味しい食事という先代のポリシーを守っています」と代表取締役社長・三田芳裕氏。 
 社長に就任後、明治座内のレストランメニューやお弁当にも改良を重ねた。そのかいあって「芝居はもちろん明治座のお食事がとても愉しみ」と多くのお客様が口を揃える。

三田芳裕氏 慶應義塾大学卒業後、家業の「玄冶店 濱田家」へ。1991年、明治座の非常勤取締役に。その後常務、専務、副社長を歴任。2002年、代表取締役社長に就任。玄冶店 濱田家の代表取締役も兼任。
 

地域の人に支えられて 歴史を紡いできた明治座

 数多い公演の中でも「昭和30年代の後半、映画会社と提携して多くの人気映画スターが舞台に登場した公演は、全国各地からお客様が詰めかけて、毎日が満員御礼でした。明治座の歴史に残る企画です」と三田氏。そんな言葉もない時代からメディアミックスな発想で舞台を仕掛けてきたのだ。最近でもTV局と提携して『渡る世間は鬼ばかり』や『黒革の手帖』『大奥』など話題のドラマを舞台化して評判を呼んでいる。
 歴史ある多くの劇場が消えゆく中で、経営上の困難に何度もあいながら、再建復興されてますます輝きを増してきたのはなぜなのか?「昔から地域の方々に支えられてきた劇場。一企業ではなく地域の多くの人が支えてきた。再建時もそんな人々が資金集めや建設作業に一丸となって取り組んだ。劇場を愛する地域の人やお客様のご支援で今の明治座があるんです」。
 明治座の今後については「社長就任後に開校した、プロ俳優を育てる『明治座アカデミー』も15期目になり、今後は舞踊や歌部門の可能性も考えています。また全国の劇場から公演依頼されるような当社プロデュースのお芝居をもっと発信していきたい」と意欲的だ。

心が華やぐ美しいエントランス。2階には全面のガラス窓から日差しが降りそそぐ心地よいラウンジも。4階と5階にはお客様から人気の和食レストランがある

瞬間を愉しむ料理や芝居はお客様への感謝と責任が大事

 家業である料亭「玄冶店 濱田家」の主人としての顔も持つ三田氏。大正元年、江戸時代からの有名な置屋「濱田家」を祖父・三田五三郎氏が料理屋として開業。五三郎氏の手掛ける時代を先取りした料理、お座敷での芸者の唄や舞を愉しみに多くの著名人が足を運んだ。
 「昔は芸者を呼べる料亭がたくさんありましたが、今の芳町(旧町名)では濱田家だけになりました。芸を愉しみ食事をする、ゆったりとした時間と空間を味わうのもいいものですよ」。また『ミシュランガイド東京』では、三ツ星の評価も。「ミシュラン以降、初めてのお客様が増えました。お料理を愉しみにご来店されるので、その想いに応えるお料理を、と日々精進しております」と三田氏。
 料理も芝居もそのとき限りで形として残らないもの。「だからこそ、心に残るようにお店でも劇場でも、私たちの心の持ち方の基本として、お客様への感謝の気持ちと責任を一番大事にしています」

「玄冶店(げんやだな)」の地名は、江戸時代、この場所に幕府の医者岡本玄冶(1587年~1645年)が住んだことに由来。お料理はもちろんだが、数寄屋造りの座敷、器、庭、すべてに日本文化を感じる「玄冶店 濱田家」

伝統と品格、そして温かみ だから日本橋の老舗が好き

 ご自身の生活する人形町や浜町について「飾らないくだけた雰囲気が浜町や人形町の良さです。この地域が持つ街の個性をさらに輝かしていければと考えています」と話す。
 日本橋で好きな場所について尋ねると「三越さん、髙島屋さん、山本海苔さん、榛原さん、榮太樓さん等、数多くの日本橋の老舗が好きですね。伝統と品格を漂わせながらも、接客には温かさを感じる。安心してモノを選ぶことができる。ひとりで散歩がてらよく立ち寄っています」と三田氏。

DATA

明治座
東京都中央区日本橋浜町2-31-1
☎ 03-3660-3939(代表)
www.meijiza.co.jp


玄冶店 濱田家
東京都中央区日本橋人形町3-13-5
☎ 03-3661-5940
www.hamadaya.info