山王祭

2年に一度、神田祭と交互に行われ、将軍らが上覧したことから「天下祭」とも謳われた山王祭。今年は、江戸城に入城してから400年となる節目の年。京橋から日本橋まで、中央通りの全面を使って下町連合渡御が行われ、かつて山王祭で曳き回された山車の里帰りも実現します。お祭り一色に染まる日本橋をぜひ体感して。

2016年06月 【第68号】

山王祭

2016年6月7日(火)~ 17日(金)場所...日枝神社、日本橋日枝神社(摂社)、氏子町会、他
6月10日(金)神幸祭
6月12日(日)下町連合渡御
(問)日枝神社 ☎ 03-3581-2471
www.tenkamatsuri.jp

古式ゆかしい王朝装束の大行列

古式ゆかしい王朝装束の大行列

鳳輦や宮神輿の後に続く紫翳と錦蓋。

6月10日(金)14:30 中央通り 山王祭で最大の行事が「神幸祭(じんこうさい)」。鳳輦(*1)2基、宮神輿1基、山車(*2)3台と、王朝装束をまとった神職・氏子ら500名ほどの行列をなし、皇居・丸の内・霞が関・銀座・日本橋などを巡幸する。このような様式になったのは明治15年(1822年)からで、中央通りを巡幸するようになったのは2008年から。

*1 鳳輦(ほうれん)=屋根に鳳凰を乗せた輿。神輿と似ているものの、山王祭の鳳輦をはじめ、車輪が付いて引くようになっているものもある。
*2 山車(だし)=鉾や人形を飾られた車輪付きの屋台。神は山頂に降臨するという信仰から、神輿と同様に神威が宿り、神の移動を意味する。

御旅所に揃う鳳輦・宮神輿

御旅所に揃う鳳輦・宮神輿

静粛な雰囲気で執り行われる御旅所祭。

6月10日(金)13:10~14:10 日本橋日枝神社日枝神社の摂社である日本橋日枝神社は、山王祭の御旅所(*)。鳳輦2基と宮神輿1基が揃い、御旅所祭が執り行われる。天正年間(1573~1592年)の祭礼の際、八丁堀の御旅所まで神輿が船で巡幸したことに始まり、寛永年間(1624~1644年)に、現社地が御旅所に定められた。江戸時代にはここに1泊し、2日間かけて巡幸したという。

* 御旅所(おたびしょ)=神輿が一時とどまり、神事を行う場所。行宮(あんぐう)ともいう。

心が一つになる日本橋での"差し"

心が一つになる日本橋での差し

日本橋二丁目通(町会)の神輿。日本橋上での差しは、担ぎ手と観客の熱気で高揚する。

6月12日(日)13:30 日本橋橋上日本橋の中央にある国道の起点「日本国道路元標」の辺りで、神輿を高々と上げる。"差し"とは神様を差し上げる意味をもち、担ぎ手たちの心が一つになる大きな見せ場。橋の向こうの氏子(*)である室町・本町の、神田神社の氏子たちが高張提灯を掲げて迎える。

* 氏子=氏神が守護する地域に住む人々。日枝神社の氏子町は72ヶ町、神田神社の氏子は108ヶ町ある。

日本橋髙島屋でのスリリングな"差し"

日本橋髙島屋でのスリリングな差し

担ぎ手がひしめき、掛け声が天井に響く差しは迫力たっぷり。

6月12日(日)14:00 日本橋髙島屋下町連合渡御でフィナーレを飾るのは日本橋髙島屋での" 差し"。いくつかの神輿が重厚な正面入口に入り、空間いっぱいに威勢よく差し上げられる。日本橋髙島屋以外にも、さまざまな店前に訪問があり、木頭(*)と神輿との最後の白熱したやり合いも見もの。

* 木頭=柏子木を用いて、神輿の担ぎ上げ・降ろしの合図を出す指揮者。

鳶頭(かしら)衆を先頭に、里帰りした山車が渡御!

6月12日(日)12:30 中央通り京橋地点からの下町連合渡御(*)を率いるのは、江戸消防記念会の鳶頭衆50名。日本橋に差し掛かる所で、労働歌の木遣(きや)りを唄う。そして今回、神輿とともに渡御するのが、かつての上槇町(現・八重洲一丁目)の山車「石橋(しゃっきょう)」。明治12年(1879年)に千葉県佐倉市横町に譲られたもので、山王祭の山車はその他3台が佐倉市に渡った。人形と櫓やぐらが上下に可動する構造が特長の「江戸型山車」は、てこ棒で操縦しブレーキをかける。

* 渡御(とぎょ)=山車を引いたり神輿を担いで練り歩くこと。

佐倉市の「石橋」

佐倉の秋まつりでの「石橋」。三層せり出し型の山車で、葛西囃子(ばやし)の流れをくんだ佐倉囃子とともに練り歩く。

江戸消防記念会の鳶頭衆

山王祭で練り歩く江戸消防記念会の鳶頭衆。纏(まとい)・伴纏(はんてん)・火消し用具や木遣りなど、江戸の町火消の文化を後世に伝える。

江戸の発展とともに盛大化した山王祭

江戸の発展とともに盛大化した山王祭

「東都日枝大神祭礼練込之図」歌川芳藤 明治元年(1868年) 中央区立京橋図書館所蔵
幕末に発展した「江戸型山車」が描かれ、画面中央の十番「加茂能」は昭和30年代に魚河岸会により復元され、神田祭で展示される。

かつては江戸城内にあった日枝神社。徳川家の産土神(*)として崇敬され、城の拡張のため、国立劇場付近に遷座した後、現在地へ。山王祭は元和元年(1615年)に初めて江戸城に入り、将軍が上覧する"天下祭"として計71回(以上)入城したという。また、もう一つの天下祭である神田祭と氏子が重複する町もあった。45台の山車や練り物、お囃子や演芸などが添えられる「附け祭」が人気を博し、江戸の文化や経済が大いに発展した文化文政期(1804~1830年)に最盛期を迎える。明治に入り電線が引かれたことが影響し、山車の代わりに明治36年(1903年)から徐々に神輿が主流となった。

* 産土神(うぶすながみ)=生まれた土地の守護神

祭りを彩るファッション

お祭りで目を引く担ぎ手たちのさまざまなファッション。柄、着こなしも多種多様あるため、今回は担ぎ手が憧れる鳶職をモデルにしたスタイルと、担ぎ手の代表的なスタイルをご紹介。現在、江戸町火消し ろ組 組頭である鹿島彰さんによる監修のもと、簡略的に解説する。

祭りを彩るファッション
1 腹掛け(別称どんぶり)、ダボシャツ 腹掛けは、前掛けのようなもので前面にある大きなポケットを「どんぶり」と呼ぶ。鳶職人がそこから大雑把にお金を出し入れしたことから「どんぶり勘定」といわれるように。また、肌着としてゆったりとしたつくりのダボシャツを着用する。スリムなつくりの鯉口シャツを好む方も。
2 股引 脚のラインにぴったりなものがいいとされる。かつては職人や商人が着用していた作業着で、藍染めが主流
3 わらじ、わらじ掛け 藁でつくられたわらじを履く際には、専用の足袋である"わらじ掛け"を履く。わらじ掛けは藍染めが多い。
4 鉢巻(手ぬぐい) 図の巻き方は、額の真ん中でピンとV字に角を立てる「向こう鉢巻」。そのほか、さまざまな結び方でおしゃれに凝る方も多い。女性には頭に軽く載せる「くわがた被り」が人気。
5 半纏 町会ごとにデザインや色が異なる。背中には代紋があり、町会名を略した文字や、かつての町会名を採用していることも。半纏着用で座るときは、裾をめくってお尻に敷かないようにするのがマナー。
6 帯 帯の結びは「縦結び」。結びの由来は鳶職人が火事場で水に濡れてもすぐ解けやすいようにされている。帯によく使われる「吉原繋ぎ」は江戸時代に生まれた文様。鎖の連続文様で、吉原の郭に入るとなかなか解放されないことにちなむという。
7 小物たち 左の図では描いていないが、懐に掛守を忍ばせ、帯の後ろには扇子を差し煙草入れを下げたりしている。袂に見えるのは、懐紙を包んだ手ぬぐい。また、右の図では小物入れを肩がけしているが、紐が短いものなら帯に結びつけて。さまざまな文様や絵柄があり、さりげないセンスの見せどころ。
8 半ダコ 晒でつくられた白い短パンスタイル。生地が薄いため、夏祭りなどの暑い時期に多く見られる。履く際は前後ろを間違えないようにしたい。
9 地下足袋 職人靴のゴム底の足袋。基本的に股引や半ダコと色を揃える。足首部分が短いタイプ、長いタイプがある。最近では底にエアークッションが入ったタイプも。
鹿島彰さん

撮影:佐藤公治

監修:鹿島彰さん2015年3月に江戸町火消しろ組 組頭に就任。山王祭では、神酒所や御仮屋の設営、軒提灯、神輿の飾りつけ、当日の警護などを担う。


制作協力/日枝神社、日枝山王祭下町連合実行委員会