山王祭の神輿行列

江戸東京を代表する三大祭りの一つ「山王祭」が、6月7日から11日間に渡り斎行されます。今号では、広大な氏子域で行われるさまざまな祭典の中から、日本橋地域の見どころをご紹介。日本橋のメインストリート、中央通りを埋め尽くす担ぎ手たちの熱気をぜひお楽しみください。

2014年06月 【第44号】

山王祭は、徳川将軍家の産土神(うぶすながみ)として信仰されてきた日枝神社の祭礼で、江戸三大祭りの一つに数えられる。"神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王さま"と唄われるように、山王祭の氏子域は江戸いちばんの広さで知られ、江戸城まで入ることを許された天下祭の一つでもある。本祭の年だけ行われる神幸祭のほか、下町エリアでは連合渡御が行われ、氏子たちの心意気が結集する。

山王祭 2014年6月7日(土)~17日(火)
場所...日枝神社、日本橋日枝神社(摂社)、氏子町会
(問) 日枝神社 TEL 03-3581-2471 www.tenkamatsuri.jp
日枝神社山王祭下町連合祭礼委員会 www.tokyo-ekimae.org/sannou
※雨天決行(ただし荒天の場合は中止、またはコース・時間変更あり)

6月13日(金)7:45~17:00 神幸祭(じんこうさい)

神幸祭

13時25分頃、茅場町駅近くの摂社 日枝神社に宮入される様子。ここで御旅所(おたびしょ)祭が執り行われる。

神幸祭

中央通りの日本橋高島屋前を巡幸する神幸祭の行列。通過予定は14時45分~15時頃。

御鳳輦2基、宮神輿1基が、王朝装束をまとった神職・氏子ら500名に供奉されながら、東京一広い氏子町会を一日かけて巡幸する山王祭最大の儀式。都心の近代的なビル群を背景に古風な御列が行く様子は、華麗な時代絵巻のよう。

6月15日(日)13:00~ 下町連合渡御(したまちれんごうとぎょ)

下町連合渡御

神職を先頭に、各町会の神輿と担ぎ手が列を成して中央通りを渡御。一つの神輿に200~300人の人出がいるので、総参加者は約3,000人にも上る。東京のメインストリートだけあり、観覧客も多い。

下町連合渡御

左/コレド日本橋の玄関先で、神輿を高々と差す。
右/各町会には、神輿が奉安される御仮屋(おかりや)が設置される。

日本橋、京橋、八丁堀、茅場町が連携し、同地域内を練り歩く下町連合渡御。9時半から摂社 日枝神社で5基が宮出しされ、茅場町、八丁堀を通って中央通りの渡御スタート地点である京橋(警察博物館前)に集合。かつて擬宝珠(ぎぼし)が飾られていた京橋~日本橋間の由緒ある道を、12基の神輿が連なる光景は圧巻だ。

【今年初の見どころ】中央通り全車線での渡御/町火消の木遣り

日本橋六之部連合町会青年部「日八会」会長<br>竹内章雅さん

日本橋六之部連合町会青年部「日八会」会長
竹内章雅さん
日本橋と八重洲の連合町会である「日八会(にっぱちかい)」の会長として、地域の活性化を目指した活動を行う。下町連合渡御の立ち上げにも関わり、町会、関係機関との調整など、さまざまな業務を担当。

今年の下町連合渡御は、中央通りの全車線を通行止めにして盛大に行われる。「最初は土曜の夜に京橋と日本橋で一緒に渡御をするという、こじんまりしたものでした。次は中央通りでやろうという話になり、茅場町、八丁堀が加わり、参加する神輿は12基に。実績を重ね、担ぎ手も観覧客も増えたからこそ実現できたんだと思います」。こう話すのは、下町連合渡御の調整に尽力してきた「日八会」会長の竹内さん。山王祭を盛り上げるために始めた取り組みは、年を追うごとに規模を拡大しているそう。さらに、今年初のもう一つの試みとして、町火消約100名の練り歩きも。御仮屋づくりや警固など、祭りを支える町火消たちが、荘厳な木遣り唄を披露しながら中央通りを行く様は必見。

【ビュースポット1】スタート地点

【ビュースポット1】スタート地点

数十メートルの道路がさまざまな半纏を纏った人々で埋め尽くされる。

12時45分頃、12基の神輿が京橋にずらりと並ぶ。開始前の高揚した雰囲気の中でセレモニーが行われ、13時頃に神職を先頭に日本橋へ向けて出発する。

【ビュースポット2】日本橋髙島屋

【ビュースポット2】日本橋髙島屋

左/重厚な西洋建築の建物が、神輿を引き立てる。
右/エントランスで威勢のいいかけ声が反響する中、神輿を高々と差す。

百貨店として初めて国の重要文化財に指定された日本橋髙島屋は、撮影スポットとしてもおすすめ。今年は日本橋 橋上で折り返した神輿が順々に立ち寄る予定。

【ビュースポット3】日本橋 橋上

【ビュースポット3】日本橋 橋上

左/担ぎ手はもちろん、観覧客もたくさん詰めかけ、非常に賑わう。
右/渡御の中でも重要な"差し"のシーン。"神様を差し上げる"の意で、企業や店舗前で行う場合は奉納への感謝の意を表すことも。

日本国道路元標

橋上の日本国道路元標。

日本国道路元標の真上で神輿を高々と天に差す、下町連合渡御の中でもっとも盛り上がるスポット。担ぎ手たちの熱気が最高潮に。

担ぎ手が語る「山王祭」の魅力と見どころ

榮太樓總本鋪・堀 浩一さん/所属町会:日本橋一丁目

榮太樓總本鋪 所属町会:日本橋一丁目
堀 浩一さん

担ぎ手の心意気が生み出す高揚感
「子ども神輿から数えれば約45年、神輿を担ぎ続けています。神輿は"運ぶ"のではなく"担ぐ"わけですから、担ぎ手の息が合わないと前に進めません。全員のリズムがぴったり合ったときの一体感が醍醐味ですね。その証拠に、重い神輿を肩に担いでいるにも関わらず、誰もが笑顔です。連なる神輿の迫力とともに、担ぎ手たちの表情にも注目して、同じような高揚感を味わってみて欲しいです」

日本橋髙島屋・稲田 祐子さん/所属町会:日本橋二丁目通

日本橋髙島屋 所属町会:日本橋二丁目通
稲田 祐子さん

みんなの心が一つになる橋上の"差し"
「お祭りへの参加は、社内の"髙祭会(こうさいかい)"という祭りの同好会に入ったことがきっかけです。その後、総務部に異動して町会の仕事の一つとして山王祭に関わるようになると、街の人たちの温かさにどんどん惹かれていき、気づけば10年以上参加しており、人との繋がりを非常に強く感じています。日本橋の橋上にある道路元標の上で神輿を掲げるシーンは最も盛り上がります」

日本橋の氏子域の境界は?

神田神社の氏子たち

下町連合渡御にて、橋上で高張堤灯(写真は室町一丁目、本町一丁目)を掲げて迎える神田神社の氏子たち。

日本橋エリアの氏子域は日本橋川を境に南北に分かれる。南側は日枝神社の氏子に属し「山王祭」を、北側は神田神社の氏子で「神田祭」を斎行する。どちらの祭礼も江戸時代からの歴史を持ち、徳川将軍がそれぞれの祭り行列を見物したと言われ、盛大を極めた。当初は毎年行われていたが、天和元年(1681年)のお達しにより隔年で交互に本祭が行われることになり、その慣例はいまも続いている。今年は山王祭が行われる年で、氏子域の境界である日本橋の橋上では、神田神社の氏子が各町会の提灯を掲げ、中央通りを渡御する山王祭の神輿を迎える。

※当日の天候や進行状況により、時間やコースなどが変更になる場合があります。