日本橋再生計画 近代の日本橋 ~成長と衰退~

近代、商業地の発展によって大いに繁栄した日本橋。その後、関東大震災、東京大空襲といったさまざまな歴史的事件に遭遇し、成長と衰退を繰り返します。歴史を辿ることで、時代に翻弄された日本橋の姿が見えてきます。

老舗と百貨店が共存、金融・オフィスの集積地としての日本橋

明治から大正にかけて、呉服店などを前身にもつ百貨店の開店が多く見られました。日本最古の百貨店は、江戸時代「三井越後屋呉服店」を営んでいた「三越」です。「三越」は1904年に「デパートメントストア宣言」を行い、初めて百貨店という業態を打ち出しました。やがて日本橋は、昔ながらの伝統を引き継ぐ老舗店舗と百貨店が共存する、商業地として繁栄していきます。また、江戸時代に金貨鋳造や鑑定・検印を行う「金座(場所:現在の日本銀行)」が誕生。その後も、第一国立銀行や日本銀行、東京証券取引所が設置されるなど、明治初期には金融センターとなります。オフィス街としても、銀座などの商業地とは異なる性格を持つ街へと、変貌を遂げていきました。

関東大震災、東京大空襲に見舞われる

関東大震災(1923年・大正12年)、東京大空襲(1945年・昭和20年)によって、大きな被害を受けた東京全土。日本橋では、歴史ある魚河岸が、震災後築地に移転。震災で被災した旧・三井本館(1902年・明治35年竣工)は取り壊され、1929年(昭和4年)には、関東大震災の2倍の地震にも耐えられる強度を持つ建築物として再建されました。建て替え後の三井本館は、「現存する、日本最古のアメリカンタイプの本格的なオフィスビル」として、現在も広く知られています。

1868年(明治元年)~1945年(昭和20年)東京大空襲までの流れ
1868年(明治元年)
1869年(明治2年) 旧・日本銀行竣工
1873年(明治6年) 旧・東京株式取引所(のちの東京証券取引所)竣工
1896年(明治29年) 現在の日本銀行本店竣工
1902年(明治35年) 旧・三井本館竣工
1904年(明治37年) 三越開業「デパートメントストア宣言」※日本初の百貨店
1911年(明治44年) 現在の石造アーチの「日本橋」完成
1912年(大正元年)
1923年(大正12年) 関東大震災
1927年(昭和元年)
1927年(昭和2年) 現在の三越完成
1929年(昭和4年) 現在の三井本館竣工
1933年(昭和8年) 日本橋髙島屋竣工
1945年(昭和20年) 東京大空襲
  • 「三井本館写真帖」より、建て替え後の三井本館 三井文庫所蔵

  • 「大正震災志写真帖」 1927年 国立国会図書館所蔵

第二次世界大戦後の復興と高度経済成長

戦争により大打撃を受けながらも、日本橋は日本の誇りをかけていち早く復興し、商業だけでなく、金融やオフィスなどを中心とする一大ビジネスゾーンとして生まれ変わりました。ちょうどその時期、朝鮮特需などによる戦後経済の復興もあり、日本橋の金融業を中心とした企業は昭和30年頃に完全に復活。昭和40年には、老舗百貨店もかつての賑わいを取り戻すことができました。

首都高速による「日本橋」景観の変貌と、街から失われていく活気

名橋「日本橋」の上空を覆う首都高速道路

しかし、高度成長期、1964年の東京オリンピック開催にあわせて首都高速道路が作られたことで、「日本橋」の上空が覆われてしまいます。準備期間が短かったこともあり、新たに用地取得の必要のない川の上…つまり「日本橋」上空が、高速道路の用地となってしまったのです。街のシンボルだった「日本橋」の景観が損なわれたことにより、街の魅力そのものが損なわれる結果となりました。
1980年代に入ると、日本全体がバブル景気で沸き立ちましたが、バブルの収束にあわせてその賑わいも失速。1998年、大手百貨店「東急日本橋店」の閉店は、日本橋の商業地としての勢いが後退したことを決定づける、象徴的なできごととなりました。
やがて日本橋の住民や企業も、日本橋の現状に危機感を抱くようになります。こうして、かつて空前の繁栄を見せた日本橋を取り戻すべく、地域一体となって、「日本橋再生計画」への取り組みが始まったのです。