繁乃鮨 三代目/日本橋三四四会 会長 佐久間 一郎 氏

2014年10月号【第48号】

安心・安全な食 “本物の味”を伝えていきたい

日本橋に縁の深い人たちにご登場いただく「まち・ひと・こころ 日本橋福徳塾」。第47回は、むろまち小路に店を構える繁乃鮨 三代目の佐久間一郎氏。明治期に魚問屋として創業した歴史ある店を切り盛りしながら、日本橋料理飲食業組合の若手の会「日本橋三四四会(みよしかい)」(以下、三四四会)の活動にも精力的に取り組んでいる。店の仕事について、三四四会の活動についてうかがった。



代々受け継いできた魚を見極める力

 日本橋本町にある繁乃鮨。前身は明治期に創業した「高藤」という魚問屋で、その後に分家し、昭和24年(1949年)に初代の始氏が繁乃鮨を開店した。当時から現在に至るまで、宮内省(現・宮内庁)の賢所(神事を行う神殿)に鮮魚をお納めしている。「いまも昔も変わらず、魚の目利きには非常に心を配っています」と佐久間氏は話す。
 日本橋に生まれ育った佐久間氏は、大学を卒業すると同時に店に入った。「高校の頃から出前の手伝いをしていました。もともと人と接する商売が好きだったんですね。特に親から店を継げと言われた記憶はないのですが、自然な形で家業に入りました」。入店当初は洗い物をしたり、二代目の司郎氏とともに魚河岸に出向いて仕入れの勉強を行ったりした。「河岸には長年つき合いのある店があり、特別に新鮮で美味しい魚を分けてくれるんですよ」。子どもの頃から二代目や職人の仕事ぶりをそばで見ていたものの、いざ自分が鮨を握るとなると思うようにいかなかったという。「まずは巻物から始めました。シャリが手にくっついたり、ご飯の配分がわからなかったりしてね。練習を重ねて次第にお客さまに出せるようになったんです」。

秋には日本橋三越本店にて三四四会の大きなイベントを予定しているという。「美味しいものを一堂に会して、華やかな催し物になると思いますよ。楽しみにしていて下さい」。

佐久間 一郎 氏 1967年 日本橋生まれ。大学卒業と同時に家業に入り、2001年に三代目を継いで代表取締役となる。これまで日本橋本町一丁目青年会長や中央区常盤小学校・幼稚園のPTA会長などを歴任。現在は中央区国際教育推進検討委員も務める。休日はゴルフとジムで汗を流す。
 

日本橋の食を盛り上げる三四四会の活動

 現在、佐久間氏が会長を務めているのが日本橋料理飲食業組合の青年部である「三四四会」だ。昭和34年4月に発足したことから、この名がつけられたという。鮨や蕎麦、天ぷらや鰻といった江戸前の味から、西洋料理や中華料理、すき焼きやとんかつなどの肉料理、酒処と幅広い店が所属し、会員数は60名以上におよぶ。いずれも真摯に料理づくりに励み、日本橋の街を愛する店ばかりで、佐久間氏は子どもの頃から親子会員として催しに参加していたという。「新年会に出席したり、バスツアーでハイキングに行ったり、ホテルのプールで行うバーベキュー大会などに参加していました。古くからの顔見知りが多いこともあって、会員同士、非常に仲がいいんですよ」と語る。

活動を広く知ってもらうため、この春、三四四会で作成したチラシ用の集合写真。“店の顔”を全面に打ち出した。

食育活動を通して子どもたちの味覚を育てる

 「三四四会」では街のイベントに積極的に参加している。今年の春には日本橋室町の江戸桜通りで開催された“桜フェスティバル”に出店し、マグロの賄い料理などを提供した。定期的に勉強会も開き、最近は税務研修にも力を入れている。「日本橋で店を構えていると相続問題に頭を悩ませます。自分たちなりに知識を得て、お店を守っていこうという考えです」。
 そのほか、日本橋料理飲食業組合との共同で食育活動も行っている。「鰻でも鮨でも、いまはスーパーで購入することができますが、専門店ならではの手間暇かけた美味しさを子どもの頃から知っていてもらいたい。時と場合によって味を使い分けられるような味覚に育って欲しいという思いがあります」。安心、安全な食、本物の味を伝えていくこと。これからも日本橋の街から食の豊かさを発信していく。

会員に配布される木札と25周年の際に発行した記念誌。会員の顔写真やかつての街並みが記録され、日本橋の歴史を物語る貴重な資料だ。現在、55周年記念誌を編纂中。
左/半纏姿は山王祭に神田明神の氏子代表の一人として参加した時のもの。右/会員にはゴルフ好きが多く、毎年7月にコンペを開催しているそう。
DATA

繁乃鮨
東京都中央区日本橋本町1-4-13
☎ 03-3241-3586
www.gwill.co.jp/shigeno