日本橋に縁の深い人たちにご登場いただく「まち・ひと・こころ 日本橋福徳塾」。第41回は、嘉永2年(1849年)創業の山本海苔店 六代目当主の山本德治郎氏。“不易流行”の精神で、時代の風に寄り添いながら商いを続けてきた店の歴史と企業風土について、また日本橋の街への想いについてうかがった。
160年あまり前、初代の山本德治郎氏が日本橋室町に創業した山本海苔店。以来、海苔専門店として日本の食文化に大きく貢献してきた。創業当時から使われてきた“丸梅マーク”は、山本海苔店の品質の証でもある。梅が咲く寒中に美味しい海苔が採れることと、梅も海苔もともに香りがよいことを重ね合わせた印だ。二代目德治郎氏の時代には、日本で初めて『味附海苔』を世に送り出した。神田お玉が池の千葉周作道場に 通っていた二代目は、同門だった山岡鉄舟から明治天皇が京都に行幸する際の土産を頼まれ、これを考案したという。
老舗の長男として生まれた山本氏には、小学校の頃から「いつかは自分が継ぐ」という心構えがあった。「それでも恥ずかしくて、卒業文集には野球選手や宇宙飛行士になりたいなんて書いていましたけれどね」と振り返る。店にもよく訪れ、三越の食堂でお子さまランチを食べたり、社員に遊んでもらったりした。高校時代は繁忙期に百貨店売り場でアルバイトも経験したという。大学卒業後、外の空気を吸うべく他企業への就職を考えていたが、お父さまの勧めですぐに入社することになる。
入社して最初に学んだのは海苔の買いつけと仕分け。続いて工場で加工の仕事を学び、デリバリー部門と外商部門を経て、経理担当に。「パートタイマーの女性など、みんな可愛がってくれました。一新入社員としてフランクに接してくれたんです」。26歳で結婚、同じ頃に取締役に就任する。役職が就いてからも、社員と一緒によくスキーやスケートに出かけたという。
山本家には、二代目が和綴本に墨で記した『諸事書留帳』という門外不出の家訓がある。「30歳になった頃に父から見せられました。質素倹約に努めて華美にするな、一族みな仲良くしろ、善根陰徳を施せ、投資をするな、など当たり前のことが書かれています。100年以上前に書かれたものがいまもこの場にあるという重みを感じ、襟を正さねばという意識が高まったのを覚えています」。
山本氏が社長に就任した1992年は、バブル景気がはじけて経済が厳しくなり始めた頃。より一層、風通しのよい会社にしようと、若い社員に自由に発言してもらう『社長と語る会』を設け、毎朝の開店時に社員とともに店頭に立つようにした。「商人の心を忘れてはいけないと思っているんです」。一方で、海苔の新しい可能性を引き出すべく『一藻百味』や『おつまみ海苔』といった新商品を開発、近年では他社とのコラボレーション商品にも力を入れている。
代々受け継がれてきた精神は「革新の連続が伝統である」ということ。「松尾芭蕉の言葉“ 不易流行”のように、商売も時代の変化とともに変わらなければいけない部分がある。その時、“お客さまを大切にして美味しい海苔をお届けする”という店の核がぶれないことが大切なんです」。
日本橋への想いも人一倍強い。“本業第一”を基本としながらも、東京中央ネット理事長や日本橋室町一丁目地区市街地再開発準備組合理事長など数多くの要職を担い、街の活性化に尽力する。「日本橋の人はみんなこの街が大好き。もっと街の魅力を高め、来訪してくださるお客さまを増やしていきたいと思っています」。
山本海苔店
東京都中央区日本橋室町1-6-3
☎ 03-3241-0290
www.yamamoto-noriten.co.jp