日本橋に縁の深い人たちにご登場いただく「まち・ひと・こころ日本橋福徳塾」。第36回は、株式会社マツオカの代表取締役 松岡肇氏。日本橋生まれの松岡氏は、東京中央大通会の会長をはじめとして、地域を支える数多くの団体の役職を務めている。東京中央大通会で毎年10月に開催している「日本橋・京橋まつり」について、また、街の移り変わりについてうかがった。
大正12年(1923年)、初代が名古屋から上京し、日本橋で奉公をした後に店を構えたことが始まりというマツオカ。二代目の松岡肇氏は日本橋で生まれ育ち、今年で83歳になる。昭和の街の様子はどんなものだったのかうかがったところ、45年ほど前の中央通りを撮影した貴重な写真を見せてくれた。「うちの店はその頃、髙島屋さんの並びにあったんです。この辺りはほとんどが二階屋の商家でした。当時の商家は1階がお店で、裏にキッチンがあって賄いをしていてね。2階が家族と小僧さんたちの住居で、一軒家の中で寝食を共にしていたわけです」と聞かせてくれた。
商家の女将さんは日々忙しく買い物に行く暇がないため、勝手口に魚屋や八百屋、酒屋などが御用聞きに訪れたという。「商品を頼むと、ちゃんと人数に合わせた量を見繕って運んできてくれましたよ。コンビニに買いに出かけるいまとは大違いでしょう」。
終戦後、東京駅に八重洲口が誕生するが、昭和24年(1949年)に火事で建物が全焼。その跡地をどうするか検討が進められ、東京駅名店街がつくられることになった。「うちにもお誘いがあり、店を出すことになりました」。日本橋界隈の60件ほどの店舗が出店したという。
この頃は経済成長が著しく、まさに時代の変革期。日本橋に地方の大きな企業が本社や支社を置くようになり、中央通りにもビルが建ち並んで、二階屋の商家が減っていく。「そんな中、商店街をもう一度立ち上げて地域を盛り上げていこうとの声が挙がり、昭和22年(1947年)に東京中央大通会が発足しました」。会は今年66年目を迎え、現在は日本橋から京橋間の中央通りと八重洲通り(東京駅内堀~昭和通り)に面した商店、企業などで構成されている。
昭和47年(1972年)、東京中央大通会では街路灯など国道完成記念として、鼓笛隊や大名行列などのパレードを実施した。それが好評を博したことから、翌年より「日本橋・京橋まつり」をスタートし、今年で41回目を迎える。当初は全国の高校や大学の吹奏楽部を招き、コンクールを兼ねたパレードを行っていたが、現在は地元団体、地元中学や高校の吹奏楽部などによるパレードに続いて、全国から集まった伝統的な祭りや踊りが華やかな演舞を繰り広げている。五街道の起点である日本橋での披露を楽しみにしている団体も多いという。
「昔は東京駅八重洲口から日本橋界隈をショッピングして歩く方がたくさんいらっしゃいました。ところが街の様相が変わり、次第にのんびりと散策する方が減ってしまった。このお祭りを通じて、街をそぞろ歩いてくださる方が増えればいいなと思っています」と期待を込める。
また、きもの文化の大切さも伝えていきたいという松岡氏。かつての日本橋は、日本の繊維産業を支えた街、呉服の街でもあった。「うちは洋品店だけれど、きものを着ると、日本人に生まれてよかったと実感するでしょう。最近はゆかたも改めて見直されつつあって嬉しいことです。日本橋はきものが似合う街。きもの姿で来てくださる方も増えたらいいですね」。日本橋への想いは尽きない。
株式会社マツオカ
東京都中央区日本橋3-4-11
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