有便堂(ゆうべんどう) 代表取締役 石川 雅敏 氏

2013年10月号【第36号】

奥深い日本の文化 四季の移ろいがものづくりを豊かにした

 日本橋に縁の深い人たちにご登場いただく「まち・ひと・こころ 日本橋福徳塾」。第35回は、有便堂 代表取締役の石川雅敏氏。大正元年(1912年)創業の有便堂は、書画用品専門店として、日本の芸術文化を後押ししてきた。多くの芸術家たちに愛されてきた店の歴史と、ものづくりへの想いをうかがった。


風呂敷商から始まり戦後に憧れの街へ

 昨年、創業100周年を迎えた有便堂。注文を受けた商品を風呂敷に包んで売り歩く“風呂敷商”から商いを始め、初代が上野の湯島天神下に店舗兼住居を構えたのが、大正5年(1916年)のこと。木造3階建てで1階には土間があり、座敷でお客さまを迎えていた。「2畳ほどのショーウインドウを設け、筆づくりの様子を見せていたらしいです」と石川氏は語る。

「自分自身は絵も書もやらないんです。作家さんの仕事を尊重する立場でなくてはダメだ、というのが初代の家訓なんですよ」と微笑む石川氏。

石川 雅敏氏 1953年生まれ。学業を終え、京都の図案材料店で3年ほど修行した後、昭和49年(1974年)に家業に入る。初代である祖父のもとで、書画材料の専門知識を学ぶ。質の高い品揃えは、各界から厚い信頼を集めている。
 

 上野界隈には文人や画家が多かったことから、次第に品質のよい筆が評判となっていく。「当時、華僑の商人から材料を仕入れ、いちはやくヤギの毛で筆をつくっていました。ちょうど画壇では大作が増えていて、より豊かな表現を可能にする道具が求められていたんです」。その頃、一般的だったのは馬、イタチ、兎、鹿、狸の毛からなる筆だったが、どれも大作の微妙な表情を描くのに向かなかった。そのため、柔らかく細い線が描けるヤギの筆が人気を博したという。ヤギの毛は背中から腹、尾まで筆に適しており、特に顎の下が最高品質といわれた。

 第二次世界大戦の戦火で湯島の店が焼失したため、昭和21年(1946年)に現在の地に移転する。「商業の中心地である日本橋に店を構えるのは、初代の夢だったようです」。お麩屋の工場だった建物を居抜きで譲り受けて改装した。この時、初代が力を入れたことがある。それは、中央通りを越えてお客さまを呼び込むことだった。「当時は市電も通っていたのですが、三越にいらっしゃるお客さまに、通りを越えてご来店いただきたいと知恵を絞ったようです。それで四季折々の風情が漂う和小物を店頭に並べるようになりました」。その名残はいまも留まり、季節感あふれる品々に誘われて道行く人が暖簾をくぐる。

馬の毛を先染めし、筆に仕立てた『天平蓬莱筆』。聖徳太子が用いたとされ、正倉院に伝わる「雀頭筆」を現代の職人の技で蘇らせた逸品。

あらゆる表現を可能にする道具 その制作にかける想い

 石川氏は、他では手に入らないような珍しい筆づくりに力を注いでいる。ムササビや甲斐駒の馬、蝦夷鹿、戦前の白鹿の毛、赤牛の耳の後ろの毛、喧嘩をしたことがない真っ白な雄猫の毛など。とりわけ貴重なのが『松前船のねずみの毛の筆』だ。江戸から明治にかけて、北海道と西日本の間には昆布や穀物を運ぶ廻船“松前船”が行き来していた。その船に住み着くねずみの毛は日本海の荒波にもまれてコシがあり丈夫だったことから、筆の材料として珍重されたという。いまでは入手困難な品だ。「漆で細い線を描くのに最適なんです。かつて将棋や碁盤の目は漆の手描きで、その線描には普通の筆だと漆のねばりに負けてうまく引けない。これだと綺麗な線がスーッと描けるんですよ」。

珍しい筆に出会えるのも有便堂ならでは。左から孔雀、馬の毛、兎のひげ、錦鶏、赤牛の耳の後ろの毛(虫を追い払うときに振る毛)、牛耳毛。

目利きが集まる日本橋 これからも期待に応えられるように

 横山大観、川合玉堂、川端龍子など日本画壇の大家に贔屓にされてきた有便堂。現在も、書家や画家、陶芸家など目の肥えたお客さまが全国から足を運ぶ。だからこそ、いつの時代も本物志向でなければと気を引き締めている。筆のみならず、絵の具や紙もしかり。「絵描きさんは同じ色でも、より発色のよい優れた顔料を求めます。しかも絵の具の力に翻弄されることなく、“色を殺して”自分のものにしていく。それが絵画の醍醐味なんですね」。
 日本の四季は、材料となる生物の育成やものづくりに大きな影響を与えてきた、と石川氏は語る。筆でも紙でも、他国で同じものをつくろうとしても出来ないのだという。「この仕事を始めて42年になりますが、まだまだ日本の奥深さに驚かされることばかり。1+1が2以上になる。それが日本の“ものづくり”だと誇りに思っています」。

上/20年ぶりに入荷したという天然ウルトラマリンの原材料『ラピス』。細かいところに冴えがあり、価値も高い。大きな鉱石から不純物を取り除くと、顔料に使えるのはごく僅かという。下/色とりどりの岩絵の具が並ぶガラス棚。デリケートな色彩のグラデーションに、日本文化の繊細さが垣間見える。
DATA

有便堂
東京都中央区日本橋室町1-6-6
☎ 03-3241-6504
www.yubendo.co.jp