株式会社宮入 代表取締役社長/横山町奉仕会 会長/神田神社 氏子総代 宮入 正英 氏

2013年05月号【第31号】

多様な遺伝子を持つ問屋街 横山町の魅力を世界へ

日本橋に縁の深い人たちにご登場いただく「まち・ひと・こころ 日本橋福徳塾」。第30回は、株式会社宮入・代表取締役社長の宮入正英氏。衣料品の問屋街である横山町で105年の歴史を刻んできた宮入。三代目の正英氏は、初代が育んだ「公の心」を受け継ぎ、街全体の活性化に積極的に取り組んでいる。商社マンから衣料問屋の経営者に転身した宮入氏に、横山町の未来図について話をうかがった。


初代の願いは常に街全体の繁栄だった

 横山町問屋街の歴史は江戸時代にさかのぼる。呉服商が軒を連ねていた堀留町が近かったことから、次第に小間物問屋が集まるようになり、大問屋街へと成長していった。明治41年(1908年)創業の宮入は、この街で屈指の老舗問屋といえる。長野県篠ノ井の大庄屋に生まれた初代が、店を構えたのが始まりだ。「初代は社会貢献、公の心が強い人だったんです」と宮入氏は語る。昭和4年(1929年)に世界恐慌が起こり、日本にも不況の波が押し寄せて、中小企業が相次いで倒産した。その時、初代は「自分たちが倒産したら、これらの商品を扱う中小零細のお客さまが困ってしまう」と、問屋間での適正競争を維持するために組合を設立。これが現在の横山町奉仕会であり、問屋同士の共存共栄を目指した組織の誕生は、当時、非常に画期的だったという。

一男一女の父である宮入氏。未来の四代目については「娘も息子もいまは好きなことをやっているんです。かつての僕と同じだよね」と笑う。

宮入正英氏 1953年生まれ。筑波大学付属駒場高校から東京大学工学部に進学、資源開発について学ぶ。卒業後は三井物産に入社し、石油や天然ガスのプロジェクトに従事。海外研修員としてロンドンや中東への駐在を経て、32歳のとき家業に入る。趣味は読書と15歳から続けているテニス。
 

 初代のエピソードはこれだけに留まらない。たとえば戦後、焼け野原になった横山町を再生させようと、有志を募って全国紙に広告を打った話がある。「みなさんの土地はとってあります──」。この広告を見て、街を離れていた多くの問屋主が戻ってきたのだとか。「宮入だけが繁盛してはダメだ、街全体が栄えなければ、というのが口癖でした」。その精神は時代を超えて受け継がれ、二代目の正則氏も数々の公職を務めて街の発展に貢献した。


時代の流れとともに新たな経営戦略へ

 大学卒業後、商社勤務を経て、宮入氏が副社長として家業に入ったのは昭和60年(1985年)のこと。当初は仕事の流れに大きなギャップを感じたという。「父から、商社と零細企業ではやり方が違うんだぞ、と言われましたね」。戦後は経営も順調で、婦人衣料のほか紳士服や子ども服など幅広く手がけていたが、一方でファッション業界には新風も吹き始めていた。昭和40年代になるとデザイン力を武器にした「アパレルメーカー」が台頭。徐々に百貨店をはじめとする小売業者への販売力を強めていく。

看板の文字が右読みになっている昭和初期の店舗写真。

 そして、いまから10年ほど前、宮入氏は大きな方向転換を決断する。「“何でもある宮入”から“特定分野に強い宮入”に変えていこうと考えました。市場調査を行い、ミセスとシルバー向けのエレガントラインに力を入れるようにしたんです」。大きな変革を経て、現在の宮入の業態が形づくられていった。

日本橋四の部地区連合町会に属する横山町。仲間とともに威勢よく御輿を担ぎ、汗を流す。ちなみに宮入氏が肩を入れている担ぎ棒の先端は“花棒(はなぼう)”と呼ばれ、担ぎ手の憧れの場所。

アジアのバイヤーも注目 ファッション基地としての存在感

 いまも昔も大問屋街として変わらぬ魅力を放つ横山町。「近年アジアのお客さまも増えたので、街でもインバウンド需要に力を入れて、さまざまな取り組みを進めています」。昨年から中国バイヤー向けに銀聯(ぎんれん)カードの取り扱いをスタート、この春には街全体でWi-Fiの試験運用も始まる。「国内外から問屋が新規参入し、美容院や自転車店といった店舗も増えました。新しい遺伝子が入り、街が活性化していくのが嬉しいんです」。宮入氏は横山町のことを“多様な遺伝子を持つ街”と表現する。「ここには宝の山があり、これからも商人がワクワクする街であり続けたい」。

小売業者向けの横山町問屋街マップ。アジア市場に向けた中国語版も作成している。各店舗の取扱商品や配送業者、宿泊施設なども明記した親切な構成。

 神田神社の氏子総代も務める宮入氏は、現在、神田祭の準備の真最中。横山町は御輿の担ぎ手が多いため、外部の助っ人はいないのだそう。「うちも社員全員で参加します。翌日はたいてい肩が痛くなるから、毎年みんなの肩をたたくんです。ちゃんと担いだか確かめるためにね(笑)」。問屋街のリーダーは、祭りでも地域の舵取り役を担う。

神田祭では氏子総代として誰よりも忙しく立ち働く。日本橋では50~60歳はハナタレ小僧、70歳で一人前、80歳で長老なのだとか。宮入氏もまだまだ若手だ。
DATA

株式会社宮入
東京都中央区日本橋横山町6-18
☎ 03-3663-5211(代)
www.miyairi.co.jp