株式会社山本海苔店 取締役副社長 山本 泰人 氏

2011年07月号【第9号】

嘉永2年(1849年)、日本橋室町で創業した山本海苔店。六代目社長とともに伝統の暖簾を守り新たな改革に挑み続ける山本氏は、日本橋再生推進協議会の専門部会「水辺再生研究会」会長として街の象徴「日本橋」が架かる日本橋川の再生に力を注いでいる。江戸以来、水の都として発展してきた日本橋の景観を取り戻すために尽力する山本氏が、日本橋川の再生や街の活性化、水辺と川沿いの街づくり、日本橋への想いを語る。


明治天皇の行幸土産に開発された「味附海苔」

 嘉永2年(1849年)、初代・山本德治郎が当時魚河岸*1のあった日本橋室町1丁目に創業した「山本海苔店」。創業時、浅草の老舗海苔問屋が主たる販路を独占していたため、初代・德治郎の商いはけっして楽なものではなかったという。しかし二代目が後を継ぐ頃には、海苔の採取権をめぐる不正事件で浅草の海苔問屋の勢力が弱まり、仕入れが容易になり販路も拡大していく。
 「好転した機を捉えて、家庭用や贈答用など使用目的別に海苔を分類したり、明治天皇の京都御所行幸のお土産品にと醤油で味をつけた『味附海苔』の開発を手掛けたり、と二代目は商才とアイデアに溢れた人物でした」と取締役副社長・山本泰人氏。この味附海苔を市販すると美味しいと大評判に、「海苔は山本」と全国各地にその名前が広がっていく。今でこそ多くのメーカーが手掛ける「味附海苔」だが、その元祖は山本海苔なのだ。

山本泰人(たいと)氏 1948年生まれ。71年に慶應義塾大学卒業後、第一勧業銀行入社。74年、株式会社山本海苔店に入社。取締役などを経て、93年に取締役副社長に就任。 ※名前の「泰」は正確には異体字
 

人々の暮らしとともにあった美しい日本橋川を取り戻す

 街の象徴「日本橋」が架かる日本橋川。江戸時代は、物流、交通や娯楽、防災など多岐にわたり活用されていた。「最盛期は、大小問わず数多くの船着場がありました。魚河岸があったとはいえ、いかに川が身近な存在であったかがわかります。夏は水辺で涼んだり、日本橋川から船で大川(現・隅田川)に向かい花火を見たりと、川は資材物流の要でもあり人々の娯楽の場でもありました」と山本氏。
 人々の暮らしとともにあった日本橋川だが、昭和38年(1963年)に高速道路が作られたことで景観や環境が一変する。「高速道路で覆われ、また都市化が進んだ街の生活廃水などを引き受ける存在に。一時期、日本橋川はひどい状況でした」
 しかし日本橋川の本来の姿を取り戻そうと地元有志が声をあげて、平成20年(2008年)「水辺再生研究会」が発足。同会会長である山本氏は、河川浄化に向けた行政アプローチや地域議論の取りまとめはもちろん、日本橋の諸団体と連携した河川浄化活動など地道な努力を続けている。

廉価良品の信条を受け継ぎ、時代を超えて愛される商品を作り続けてきた山本海苔店。商品同様に缶のデザインにもこだわり「極上銘々海苔 梅の花」は江戸蒔絵で有名な三田村秀芳氏が、日本橋本店限定「銘々焼海苔・味附海苔」は日本画家・児玉希望氏が、描いたものを使用している。

今春開設の船着場で日本橋地区を盛り上げる

 水辺環境の改善とともに水辺と街の活性化にも取り組む「水辺再生研究会」。その取り組みがカタチとなったのが日本橋橋詰に完成した「船着場」だ。「試験的に日本橋川から東京スカイツリー周辺クルーズをしましたが、すぐに満席になるほど人気でした。今後は、観光だけでなく日本橋と羽田空港を結ぶ水上交通も十分に考えられます」
 船着場ができたことで川を主体にしたイベントも増えた。「7月下旬も日本橋川で周遊クルーズを計画しています。また7月末の橋洗いでは、歌舞伎役者・市川團十郎氏と坂田藤十郎氏の『船乗り込み』*2を予定。秋には、日本橋・京橋祭りや延期になった架橋100周年イベントとあわせて近郊の小江戸都市からの船パレードも考えています」
 今の首都高速の架かっている日本橋や川は仮の姿です、と山本氏。続けて「今の景観は、50年程度のもの。それ以前にわたる長い年月、人々は橋の上やたもとから青空の下で川を愉しんでいた。『振り返れば未来』という言葉がありますが、過去の素晴らしい日本橋景を未来へとつないでいく努力をしていきたい」と熱く語る。

日本橋橋詰に開設された船着場。日本橋川クルーズや川を主体にしたイベントなどが計画されている。

橋詰のカフェから眺める日本橋の光景がお気に入り

 一番好きな日本橋景について「日本橋橋詰にあるカフェ『ニホンバシイチノイチノイチ』から眺める日本橋と川の光景が好きですね。夕日に照らされてオレンジに輝く橋や川面、日が沈み橋のライトが川をほのかに照らしている光景は本当に美しい」と山本氏。
 句をひねることも好きという。「春に作った句ですが、『江戸の春 未来に重ね 日本橋』、江戸時代のような美しい日本橋景や街のにぎわいを取り戻すべく頑張りますよ」と笑った。

*1 江戸初期から関東大震災まで、日本橋北詰一帯には魚河岸があった。
*2 歌舞伎興行の際、役者がご当地到着を船に乗ってお披露目するという歌舞伎伝統行事。

DATA

山本海苔店
東京都中央区日本橋室町1-6-3
☎ 03-3241-0290
www.yamamoto-noriten.co.jp