街がひとつに! 山王祭

江戸の三大祭りの一つ「山王祭」が、6月7日から11日間に渡り斎行されます。今号では、歴史ある神輿の魅力や、祭りの見どころをご紹介。京橋から日本橋にかけて練り歩く下町連合渡御(とぎょ)では、さまざまな町の神輿が一堂に会し、中央通りの熱気は最高潮に達します。初夏の日本橋で、担ぎ手たちの祭り魂を感じてみませんか。

2018年06月 【第92号】

2018年6月7日(木)~17日(日)
場所...日枝神社、日本橋日枝神社(摂社)、氏子町会、他
6月8日(金)神幸祭/ 6月10日(日)下町連合渡御
(問)日枝神社  03-3581-2471
www.hiejinja.net

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山王祭とは

双葉葵

徳川将軍家の産土神(うぶすながみ)として信仰されてきた日枝(ひえ)神社の祭礼で、江戸三大祭りの一つに数えられる。山王祭の氏子域は江戸いちばんの広さで知られ、江戸城まで入ることを許された天下祭の一つ。本祭の年だけ行われる神幸祭(じんこうさい)のほか、下町エリアでは連合渡御が行われ、氏子(うじこ*)たちの心意気が結集する。
*氏子=氏神が守護する地域に住む人々。日枝神社の氏子町は72ヶ町ある。
※雨天決行(ただし荒天の場合は中止、またはコース・時間変更あり)

神輿の美しい装飾に注目!

天平勝宝元年(749年)に、聖武天皇が奈良の東大寺建設にあたり、大分県の宇佐八幡宮の八幡神を奈良へ移動する際につくった乗り物 鳳輦(ほうれん)が、神輿の原型といわれている。神輿は一般的に、神社をモチーフにつくられているものが多い。今年初めて中央通りを渡御(*)する『兜町町会神輿』。その繊細で美しい装飾をじっくり見てみよう。
*渡御=山車(だし)を曳いたり神輿を担いで練り歩くこと。

兜町神輿

昭和34年(1959年)に、後藤直光によって制作された神輿。細部まで施されたカラフルで美しい彫刻や、「兜町」の金具など、職人の技が随所に感じられる。

蕨手 大鳥 葺返紋

左【蕨手(わらびて)】屋根の境界線の出っ張りから伸びているものを蕨手と呼ぶ。兜町の蕨手は、白龍が絡まるめずらしいデザイン。/右上【大鳥(鳳凰ほうおう)】天皇の乗り物だった鳳輦の屋根に付いていたもので、さまざまなご利益があると考えられている。/右下【葺返紋(ふきかえしもん)】屋根の葺返の一つひとつの紋に、七宝焼きによる「兜町」の金具がはめ込まれている。

木彫刻 瓔珞 棒先金物

上【木彫刻】神輿の胴の部分には、ヤギや馬をはじめとする動物や人々が、表情豊かに彫られている。神輿の左側は、天岩戸(あまのいわと)に隠れた天照大神(あまてらすおおみかみ)を外に出そうと、天手力男神(あめのたぢからおのかみ)が岩戸を開けている場面。/左下【瓔珞(ようらく)】神輿の飾り金具で、担ぐときには神輿に傷が付くため取り外す。ここにも「兜町」の文字が見える。/右下【棒先金物(さきかなもの)】神輿を担ぐときに持つ棒の先にも、町の名前が刻まれている。

兜町町会

左から、兜町副町会長 奈良阿久利さん、小西義雄さん、青年部部長の塚田秀伸さん。「山王祭は2年に一度、互いの街の親睦を深めるコミュニケーションの場にもなっています。下町連合のつながりをこれからも大切にしていきたいです」と語ってくれた。

日本橋日枝神社に神輿と鳳輦(ほうれん)が集合!

神輿 鳳輦

日本橋日枝神社の境内に並ぶ宮神輿と鳳輦。とどまるのは1時間ほど。

6月8日(金)13:10~14:10 日本橋日枝神社(摂社) 日枝神社の摂社である日本橋日枝神社は、寛永年間(1624~1644年)より山王祭の御旅(おたびしょ)所に定められている。御旅所とは、神輿が神社に一時とどまり、神事を行う場所のことで、境内に鳳輦2基と宮神輿1基が並び、400年前から変わらない厳かな雰囲気に包まれる。

神輿の担ぎ手に聞く! 山王祭の魅力

担ぎ手

茅場町一丁目町会 理事・青年部長 神谷晴江さん

「小学生の頃から一緒にお囃子をしていた仲間に誘われ、高校生のときから担ぎ手をしています。最初は神輿の周りで手拍子をして盛り上げる役目でしたが、元気に声を出していると、担ぎ手の仲間に入れてもらえるんです。神輿でいちばん楽しいのは、やはり"差し"(*)のタイミングですね。盛り上がるポイントを見定めて、担ぎ手の輪の中に入ります。女性は男性に比べて背が低いなど、多少不利な面もありますが、元気であれば関係ありません。子どもたちが神輿を担ぐ大人たちを見て、"いつか自分も担いでみたい"と思ってもらえることが理想なので、中央通りに神輿が出ることはとても大きな意味があります。下町連合渡御は、街と街をつなぐだけでなく、世代をつなぐという意味でも重要な役割をもっているんです」
*差し=神輿を高々と上げることで、神様を差し上げる意味をもつ。

山王祭の見どころをチェック!

圧巻! 神幸祭の大行列

圧巻! 神幸祭の大行列 6月8日(金)14:30頃 中央通り
神幸祭では、鳳輦2基、宮神輿1基、山車3台と、およそ500名の神職と氏子が、1日がかりで皇居の周辺エリアを巡幸する。

下町連合渡御

神輿が摂社を一斉に出発! 6月10日(日)9:10頃 日本橋日枝神社(摂社)
日本橋、京橋の6基の神輿が摂社を一斉に出発。1時間後には、すずらん通りで八丁堀の4基の神輿と合流し、京橋から日本橋へと練り歩く

日本橋の差し

街がひとつになる! 日本橋の"差し" 6月10日(日)13:30頃 日本橋
神輿が国道の起点である「日本国道路元標」に差しかかると、担ぎ手たちが一斉に神輿を高々と上げる。日本橋の橋上では、神田神社の氏子たちが高張提灯を掲げて神輿を迎える。

日本橋髙島屋へ訪問

日本橋髙島屋に神輿が訪問 6月10日(日)14:00頃 日本橋髙島屋
祭りのクライマックスは、日本橋髙島屋の正面入口で行われる迫力の"差し"。木頭(きがしら*)の合図で、いくつかの神輿が威勢よく差し上げられる様子は必見!
*木頭=拍子木を用いて、神輿の担ぎ上げ・降ろしの合図を出す指揮者。

半纏や神輿を展示!

5月23日(水)~6月5日(火)
日本橋髙島屋 1階正面ホール 日本橋髙島屋では、下町連合渡御に参加する町会や団体の半纏を、日本橋二丁目通町会の神輿とともにご紹介。さらに、山王祭の様子を描いた絵巻も展示する。貴重なこの機会をお見逃しなく!

竹内章雅さんに聞く! 山王祭の見どころ

竹内章雅さん

日枝山王祭下町連合祭礼委員会 実行委員長/日枝神社 御防講 竹内章雅さん

日本橋地域の活性化を目指した活動を行う竹内章雅さん。下町連合渡御の立ち上げにも関わり、町会、関係機関との調整など、さまざまな業務を担当。日枝神社の御防講(おふせぎこう*)でもある。「山王祭でぜひ見ていただきたいのは、日本橋日枝神社からの神輿が一斉に出発するところと、日本橋を渡る100人の木遣り、そして日本橋髙島屋の"差し"のシーンです。2年に一度の山王祭を楽しみましょう!」
*御防講=氏神である日枝神社が火災など災害が起きたとき、まっさきに駆けつけて火消しと神霊奉護にあたるべく結成された組織。

江戸時代の山王祭

「千代田之御表」「山王祭礼上覧」

「千代田之御表」「山王祭礼上覧」楊洲周延 明治30年(1897年)都立中央図書館特別文庫室所蔵

山王祭の山車や練り物が初めて江戸城内に入ったのは、元和元年(1615年)のこと。その20年後の寛永12年(1635年)、三代将軍 家光のときに山王祭が整備され、天和元年(1681年)から、神田祭と山王祭が隔年で行われるようになった。江戸時代に人気だったのは、山車行列の合間に登場する「附(つ)け祭(まつり)」で、仮装行列や踊り屋台、はりぼての象などが江戸っ子の目を楽しませたという。山車に代わり、神輿が主流になったのは明治に入ってから。それまでは、50台以上もの山車やさまざまな催しで、江戸は大いに賑わった。
*御防講=氏神である日枝神社が火災など災害が起きたとき、まっさきに駆けつけて火消しと神霊奉護にあたるべく結成された組織。